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文章の中で「引用」を用いる重要性を知っていますか?
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第326号●2022年6月3日(金)
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%name_sei%さん、こんにちは。
昨日、このメルマガの整理をしていて、大間違いに気が付きました。号数を一つ多くカウントしていたのです。
5/26の318号の次が5/27日に320号になっていて、319号が消えてしまっていました。
ということで、昨日に引き続き、今日も326号ですので、ごめんなさい。お許しください。
で、今日は昨日がFacebookの過去記事の引用だったのですが、その「引用」をするということの明示性について少し書いてみたいと思います。
昨日のメルマガの中で僕は過去記事を、
(引用開始)-----------------------------------------------------
(引用終了)-----------------------------------------------------
という記号で区切っていました。
これは、僕が長く使っている表記方法で、ある欧米文化に詳しい方の書籍などから「引用を明示することは、とても大事だ」と学んで、はじめたことです。
これはもう至極シンプルに「自他の区別を明確につける」という事だと、僕は理解しています。
この場合の「引用」は、絶対、必ず、どんなことがあろうとも、引用先の文章を要約せずに(どうしても短くしなければならない場合は「中略」などは含めても良いようです。)記事を貼り付けなければなりません。この「引用」部分には、「要約」は許されないし、ましてや、自分の主観的な判断で「××が『●●は××だよねー』みたいなことを言ってるけど」とかのような他者の発言を改変したり、改ざんして伝えることは絶対に許されないわけです。
実は日本人は、この部分がかなりアヤフヤでして、上記のようにしゃべり言葉でテキトーに要約して引用するということがよくあるんですね。
で、僕はこの引用の欧米のルールを聞いて、正直「えー、そんな面倒なこと、やってられへんやん」と思ったんですよ。なんちゅうても日本人ですから。
そもそも、他者が書いた文章を「改変なく引用する」というのは、原典となる文献を見ながら、正確に一言一句、変更することなく書き写す必要があるわけですよ。
そうですよね?
いまはインターネットの時代ですから、「改変なく引用する」というのは、コピペでカンタンにできます。しかし、もし手書きで行うなら全部原典を読みながら入力するしかないわけですよ。
「そんなことやってられへんやん」と僕が思った意味は、そういうことなわけです。
日本人は、ここを平気で「要約」するわけです。これはもう枚挙にいとまがないと思います。
でも、欧米ではまったく違うんですね。この「改変なく引用する」というのは、本当に徹底してるんです。それだけ「自他の区別をつける」「(言動の)責任の所在を明確にする」「個人の意見の尊重を大切にする」ということが深く根付いている、ということなんでしょう。
とは言うものの、こういう「理念的」なことは理解していても、この「改変なき引用」の厳しさがどの程度なのか? という実態に関してはリアルには感じられてはいなかったんです。
で、インターネットやメールによるビジネス連絡などがどんどん拡大していく中で、自然発生的に使われだしたのが「> (大なり)」を行頭に振って、引用文である、ということを示すやり方です。
これは一時期、ほんとうに流行りました。
手書きだと「引用」はものすごく手間ですけど、PCだとものすごくカンタンで、それゆえコピペ、コピペで色々なデータが何重にも貼り付けられたメールとかが届いたりしたものです。
そういう時には、引用文の中に引用が入っていたりして「> > 」というような形で引用内引用は行頭の「> (大なり)」が複数ついていたりしました。
ところが、そういうことをやっていくうちに僕は恐ろしいことに気付くわけです。
欧米では、「改変なき引用」は、本当に絶対なので、「引用するためのルール」というものが確立されているわけです。
引用には引用専用のQuote(引用開始)と、Unquote(引用終了)という単語がキチンとセットで用意されてるわけです。
これを実は欧米のジャーナリストなどは、ごくごく当たり前に使っているわけです。
だって、辞書にもQuoteと、Unquoteはセットで普通に載ってたりするんですから。
当然、インターネットのホームページを作るhtmlにもQuoteと、Unquoteは、セットで用意されていて、この開始記号と終了記号がある間の文章は「引用」を示すために行頭が数文字下がった表現になるようになっているのです。
で、日本人のWEBデザイナーは、こういう引用の文化を知らないものだから、こういう「字下げ」が必ず「引用」を示すものだと知らないものだから、単に「字下げ」の機能としてのみ、使っていたりしたわけです。
で、そういう実態を知ってもまだ、僕は「欧米人はしち面倒くさいことを、やっとるなぁ。物事を要約して考えるという事もできんのか」とバカにしていたわけです。無駄なことばかりにパワーを使ってるなぁ、くらいに思ってました。
でも、ある時、欧米のニュースを見ていて「あ!」と驚いたんですね。ニュースキャスターの人がしゃべっているところを映していたんですが、その人が、「Quote」と言った時に、手の指をVサイン状態にして「引用開始状態である」ということを示し、しゃべり終えると指を下ろしたんですね。
これ、エアクオートと言ってしゃべり言葉での「引用」の意味なんです。
まぁ、エアクオートの場合は「あいつが、こんなことを言ってたぜ」という揶揄表現でもあるようですが、それにしても、それが「引用での揶揄である」ということが、視聴者にはすぐにわかるわけですよ。
「ああ、これは引用の文化の厚みが違う。違いすぎる」と思ったわけです。
で、実際、ていねいに正確な引用を続けていると、同じ意味を表現するのに、違う用語や言い回しを使うところにこそ、その人の重要な個性が存在するのだな、ということが分かってきて、たとえば本を読んでノートを取る時でも、重要な数行は、一字一句変えずに転記したりするようになりましたし、Facebookなどで何かを話題にする時も、最初に紹介した、
(引用開始)-----------------------------------------------------
(引用終了)-----------------------------------------------------
を必ず付けるようになったんです。
それはやっぱり、個人としての自由な表現が守られている、社会的に守る気運があるから、なんですよね。
私が私である、ということ、ひるがえって、あなたがあなたであること、が、とても強い社会的な力で守られている、ということなんです。
もちろん揶揄として引用されることもあるでしょうが、「要約」されて意見が改変されて伝わってしまうよりは自由が守られている方が良いのかな? とは思うようになってきました。
ということで、今日は「引用」についての考察でした。
ではではまた。
--------------[KID'S SIGNAL No.326 -了-]---------------
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