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「ブラックパンサー」の話の続き。主人公を失った「娯楽映画」が成立している理由とは?

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ [KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第499号●2022年11月23日(水) _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ---------------------------------------- このメルマガは、 「メモ・ノート・手帳を使いこなすためのStationery Book 42」 をダウンロードくださった方を中心に毎日発行でお届けしています。 「Stationery Book 42」の更新情報なども掲載してきました。 過去記事のまとめは、今日の本文のすぐあとにリンク先があります。 ---------------------------------------- %name_sei%さん、こんにちは。 昨日に続いて、「ブラックパンサー」の続編である「ブラックパンサー:ワカンダフォーエバー」について語ります。 昨日も書いたように、「ブラックパンサー」はWASP:白人主義が支配している欧米において、黒人パワーを根本から肯定し、文字通り「価値観をひっくり返した」映画だったわけです。 しかしながら、その映画が大ヒットしたのは娯楽映画だったからこそだったし、娯楽映画には「スター」が必要であり、主役のブラックパンサーを演じたチャドウィック・ボーズマンこそが、その娯楽性、大衆性を引っ張っていった原動力だったことは誰の目にも明らかだったわけです。 なので。 このブラックパンサー続編を作る前に、チャドウィック・ボーズマンが病に倒れ死んでしまったことは、続編製作の大きな障害だったはずなのです。 僕自身、「チャドウィック・ボーズマンなしにブラックパンサーなんか成り立つわけないやん」としか思えなかったし、製作陣が「代役は立てない。CGでの再生演技もやらない」という方針を発表した時に、 「え? それでどうやって映画作るの? 成り立つん?」 と、疑問が沸き起こりまくりだったわけです。 そりゃ、娯楽映画であることを捨てて芸術性に走ったり、「ブラックパンサー」に出ていた身内の俳優だけで映画を作ることはできなくはないだろうけど、それで大衆を引っ張っていくのはかなり辛いんじゃないの? と思ってました。 ところが! いざ観に行ってみると、完璧でした。 ちゃんと娯楽映画で敵との戦いはあるし、ちゃんとアクション映画なりのカタルシスはある。 いや、それどころか、前作で掲げていた「黒人を差別した『世界』への復讐を是とするか非とするか」というテーマまでキチンと引継ぎ、シリーズとしての完成度まで上げていたのだからびっくりでした。 なんだこれは!と驚いたんですね。 で、なんでこれが成立するんだろう? どういうことなんだろう? と考えていて分かったのは、 ●映画一本をまるまるチャドウィック・ボーズマンのお葬式に仕立て上げた ということなのです。 そもそも主人公が病気で死にそうになる、というところから物語が始まり、命を救うべく科学者である妹が研究所にこもって助ける道はないかと大急ぎで実験を重ねているところから物語が始まり、「ブラックパンサーが死んだ」というところから物語が始まるわけです。 完全に俳優の死と、物語の主人公の死を一致させることで、まず観客=前作のファン=チャドウィック・ボーズマンを慕っていた者たちを、「葬儀に招待」した形なんですね。「映画という葬儀」が始まるわけです。映画の構造自体が「葬儀」なんです。 そして、物語は親族や関係者の悩みや葛藤を描いて行くのですが、そこに観客も「関係者」として、一緒にあたふたしていく、という構図になっているわけです。 これは主体的な見方をせざるを得ないわけで、他の映画とは体験の質が違います。自分も主体的に関わらざるを得ないのです。 考えてみれば、お葬式というのは、主役は「死者」なのです。だから、この映画の主役は、一切生身の俳優が登場していないティ・チャラ国王ことチャドウィック・ボーズマンなんですね。 まったく画面に写っていない人間こそが主役になっているのです。 そして実際に血縁を亡くしたことのある方なら分かると思いますが、お葬式が終わって、日常生活を取り戻すまでというのは、故人のやっていたことの引継ぎやらあれやこれやを、次々に片づけていく過程があって、それはもう毎日、「故人が亡くなったという事に対する処置」だけに追われていく生活になるわけです。 この「ワカンダフォーエバー」という作品はまさにそういう「葬式後のゴタゴタ」を描いた作品だったのです。 なので、「ゴタゴタ」が終わった後に、ティ・チャラ国王の妹であるシュリが兄への思いに区切りをつけるシーンは、日本で言えば、まさに「四十九日」の喪明けそのもので、多分恐らく、家族・親族の死を体験している人なら、全世界のどんな人でも体験するであろう時代の変化の一区切りの風景として、とても深く心に残るだろうなと思わされたわけです。 この基本構造が、ものすごくしっかりしているから、主人公のブラックパンサーがいなくても物語が成立しているのだろうと思います。 そして、前作からの継続してのテーマとなる「差別された側の恨みの感情を、どう昇華させるべきなのか」という深いテーマは「戦争」という現実問題にどう向き合うべきなのかまで示唆していて、本当に良くできた物語だったと思います。 いや、あまりに完璧だったので、ちょっと解説が書きたくなってしまいました。 ということで、今日はここまで。 ではでは。 --------------[KID'S SIGNAL No.499 -了-]--------------- ====過去記事一覧==== https://hankai.chakin.com/company/kidssignal/index.htm ==過去連載記事などのまとめ== ●文具関連名著42冊のうちのベストテン ●角二の封筒とファイルエクスプローラ。書類管理の基本はこれだ! ●「Stationery Book 42」ブックレビュー https://hankai.chakin.com/company/kidssignal/hukuro_file.html" ●あっと驚くブラインドタッチの秘密 ●ブラインドタッチ練習ソフト「WEEK」とは何か? https://hankai.chakin.com/company/kidssignal/blindtouch.html ------------------------------------------------ 僕のメルマガを面白いと感じてくださったら、 おともだちにメルマガ登録をおすすめください。 よろしくお願いします! ●無料メールマガジン[KIDS SIGNAL]読者登録フォーム https://www.itm-asp.com/form/?810 メルマガ・ブログの内容を紹介したい方は、以下のページが便利です。 ●メルマガ:KID'S SIGNAL & ブログ:コトノハコトバ 記事サンプルとメルマガ登録ボタンのページ http://www.kidashigeo.com/kotonohaselect.htm いつもほんとうにありがとうございます。 木田 茂夫 :kids@kidashigeo.com

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