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「物語」には、納得できる「設定」をキチンと用意して欲しい。それがないのは不誠実なように感じます。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第758号●2023年8月27日(日)
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%name_sei%さん、こんにちは。
今日は日曜日なので、ちょっとエンタメ系の話題にしたいと思います。
ちょっと僕の持論を強力展開するので、賛同いただけないところもあるかも知れません。
そのあたりは、日曜日の戯言とご容赦いただければと思います。
話題にしたいのは、エンタメ作品の「設定」ということについて、です。
もともとエンタメ作品というのは、架空の話であるわけですから、事実ではないお話の避けられない要素としてストーリー内の設定矛盾というものが起こりがちなんですね。
これはまぁ仕方ないものだと思います。
だから設定の甘さをとやかく言うのは大人げないことではあるんです。
それでも、やはり設定を細かく行っておく、というのは、製作側がその作品にかける情熱の深さの程度という部分はありまして、あまりに設定が甘いと、やはり観客としては製作者から「バカにされている」ような気持ちになってしまうこともあるわけです。
で、実際、漫画家で、かの有名な「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズを描いている荒木飛呂彦さんが、面白い漫画を描くコツなどを明かした「荒木飛呂彦の漫画術」の中で、キャラクターごとに詳細に設定を決めていく方が漫画としては面白くなる、という話を書いておられて、まさにその通りだと思うわけです。
どんなキャラクターであれ、強味と弱みの両方を、「どうしてそうなったのか」というレベルに至るまで緻密に設定してあると、行動に説得力が出て親近感も湧き、読んでいる側も没入しやすくなるそうです。
いや、それは絶対にそうだと思う。
で。
だから、設定にうんと力を入れて細かく決めている作品などには「面白い!」と楽しめるんですが、この「設定」を投げやりに適当にしたまま、あいまいに進んでいくお話というのを見ると、手抜き工事でバカ高い金を取る悪徳業者のように感じてしまうんですね。
で、この手抜き工事でバカ高い金をとるだけの性根の腐った悪徳業者的作品の代表が、僕にとっては宮崎駿の自身によるオリジナル作品と、ゲームソフトの代表である「スーパーマリオ」シリーズなんですね。
宮崎駿作品も、スーパーマリオも、実は「設定」を甘くしても、観客やプレイヤーがそれを気にしなくなる、特殊な「魔法」の力を持っているんですね。それが実は二つとも共通していて、「主人公の動きによる説得力」なんです。
アニメにおいては、動きを自由に設定できるので、人間ならありえないような動作をすることで、観客を魅了できますし、ゲームソフトも物理法則を無視したようなアクションをさせて、プレイヤーを惑わすことができるんですね。
宮崎アニメもスーパーマリオも、この「蠱惑(こわく:人の心を乱しまどわすこと。たぶらかすこと。)」する技法で観客・プレイヤーを惑わせ、設定のおかしさやストーリーの矛盾点をあやふやにごまかしているんです。
これがもう、本当に心の底から大嫌いで、どうしても許せないという気分になってしまうのです。
たとえば、宮崎アニメなら、2m先の15cmくらいの足場に主人公をジャンプさせて、その足場から次の安全な場所に到達させる、なんて表現を「ふつー」にやってるわけです。
こんなアクション、実写で撮ろうとしたら、大変です。まぁCGでならなんとかなるでしょうけど。でも実写でそんなことをすると、「どうせCGだろ」とバカにされますが、アニメならそうはならない。
また、スーパーマリオだと、断崖絶壁からジャンプをしても、「あ、しまったジャンプするタイミングが早すぎた!」と思ったら、空中で戻る方向にカーソルを動かすことで空中Uターンができるように作ってあったりするわけです。物理法則無視ですね。
こういうことをいくつも平気で入れていて、なぜそういうことが出来るのか? ということに関する説明は一切ないわけです。
「論理整合性」というものが、本当に全然、まったく、ちーとも存在してないわけです。
もちろん、アニメにせよゲームにせよ、その「非現実性」こそが楽しさのひとつなのですから、そういう事をやってはいけないとは言いません。しかし、非現実なことが起こるから「論理なんてどうでも良い」と完全無視をするというのはいただけないと思うのですが、宮崎アニメとスーパーマリオは、そこを完全無視してるんですね。
そもそもマリオが旅立つ理由が百年一日、「ピーチ姫がさらわれた!取り戻しに行くぞ!」でありまして、そもそもなんで一国の女王を一介の配管工でしかないマリオが助けに行くのか、その理由に合理的な説明がまったくないんですよね。意味が分からん。
また、宮崎アニメで言えば、人間と自然の対立という陳腐なテーマで「もののけ姫」というアニメを作って、人間側アシタカと自然側サンの恋愛まで描いておいて、二人の子供は登場しない。おいおい、単なるラブアフェアなんかーい!と呆れる。それで「人間と自然の対立」とか言っても、いや、これではそんな話になってないやん。人間と自然はラブアフェアでよろしいとか、そういうこと? そもそも筋が通ってないやん。
「千と千尋」にしても、豚にされた両親を人間に戻したい千尋が、最後に「この豚はおまえの両親か? 当てたら人間に戻してやろう」と言われて「なんとなく」当たってめでたしめでたし。いやいや、それあまりにテキトーすぎへん? あまりに「物語」になってないやん。
なんでこんなことになるかと言えば、マリオも宮崎アニメも、「蠱惑・人の心を乱しまどわすこと。たぶらかすこと」こそを主目的にしているからです。(断言)
そもそも「詐欺」を働くことを主目的にしているからです。(断言&強調)
一人の人間が行動したことの、理由や設定を明確にするというのは、やはりこういうエンタメ作品を作る側の誠実さの態度の証明だと思う。そういう態度を取っていないというのは、僕から見れば、製作者としての品性が下劣なんだとしか思えないわけです。
結局は、「人が動くことの面白さ」だけで「蠱惑・人の心を乱しまどわすこと。たぶらかすこと」を主目的にしているから、こういうことになるわけです。
そもそも、「人をたぶらかすこと」自体を目的としている作品が良い作品のはずがないので、僕はこれらは「作品以前だ」と切って捨てています。
こういうものは「作品」とは呼べないし、「蠱惑」こそが主目的なのだから、明らかな詐欺であり、こういう作品を楽しんでいる人間は全員、詐欺のカモになっている頭の弱い人間なのだ、というのが、僕の見解なんですよね。
まぁ極論だと言われる方もおられるかと思いますので、賛同は得られずとも仕方なしと思いますが、まぁこういう見方をしている人もいてるのです、と思っていただければと思います。
ということで、今日のメルマガはここまで。
長くなってしまいましたが、長いのに最後まで読んでくださってありがとうございます。
ということで、また明日。ではでは。
--------------[KID'S SIGNAL No.758 -了-]---------------
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