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「血液型と性格」の、昭和初期の大ブームはどうやって起こり、どう終焉したのでしょうか?

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ [KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第815号●2023年10月23日(月) _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ ---------------------------------------- このメルマガは、 「メモ・ノート・手帳を使いこなすためのStationery Book 42」 をダウンロードくださった方を中心に、毎日発行でお届けしています。 「Stationery Book 42」の更新情報なども掲載しています。 それらの過去記事のまとめは、メルマガ本文のすぐあとにリンクを掲載しています。 ---------------------------------------- %name_sei%さん、こんにちは。 さて、昨日は「血液型と性格」の歴史を解き明かす名著 ●「血液型と性格」の社会史--血液型人類学の起源と展開  松田薫 1991/5/24 をご紹介しました。 昭和初期にも存在した「血液型と性格」ブーム。今日は少し上記の書籍から、当時の雰囲気が分かる話と、いかに「血液型と性格」の話題が数年で急展開していったのかの様子を見てみることにしたいと思います。 この書籍を読んでいてよく分かるのが、当時の「心理学」という存在のマスコミおよび一般人の「受け取り方」です。 「心を西洋の科学で分析する」という事自体が、最先端のトレンドとして昭和初年度という時代を象徴していたような雰囲気があります。 特に昭和初年度は、作家江戸川乱歩が登場してきたタイミングなんですね。乱歩の作品にはズバリ「心理試験」というタイトルの小説もありますし、「D坂の殺人事件」などには人間の記憶のあいまいさを心理実験の結果とからめて作中のトリックとして使ったり、かなり「心理学」を科学的な要素として流用していることが見て取れます。 実は、江戸川乱歩が登場する際に、乱歩を雑誌編集者などに推薦した作家がいまして、それが小酒井不木(こさかい・ふぼく)なのですが、当時の探偵小説の第一人者であり、医学博士でもあったのですね。 そして、実は、この小酒井不木と、前出の法医学者、古畑種基とは親友の間柄でもあったのです。 小酒井は38で夭折された方ですが、乱歩がデビューした後などは、古畑種基と乱歩が「探偵小説」という心理に関わる作品を通じて交友を深め、各種の「血液型と性格」に関する古畑の講演会などに乱歩も同席していたりしたようです。 つまり「血液型と性格」に関する古川竹二の仮説が、あたかも真実であるかのように古畑によって世間に流布され、その話題の広がりは、乱歩のような「人気作家」とのコラボによって大きな広がりを見せていた、ということでもあるわけです。 当時の血液型ブームは、いまとは異なり、まずそもそも自分の血液型が何であるのかが分からない状態から始まっていたわけです。 なので、江戸川乱歩がもともと勤めていた毎日新聞社などは、古畑種基の血液型講演会とセットで「血液型検査」を行い、自分が何型なのかを知ることができる、というようなイベントを行っていたりしたんですね。 そして、こういうブームを知ったテキヤや、一儲けをたくらむような人間が簡易的な血清を持ち歩き、唾液で血液型を検査して(唾液検査は精度がかなり低かったようですが)進路相談の営業やら占いの営業やらに役立てていたりしたようです。 また、1933年には血液型専門の一般向け雑誌も創刊されています。読むのに根気の必要な学術論文と、大衆向けの記事とが掲載されていたような内容だったようですが、何号かは続けて出されていたようです。 ここまでブームが一気に広がったのは、すでに有名人だった古畑種基と、浅田一という二人の法医学者がともに「血液型と性格」に関係性があると大熱弁をふるったということはかなり大きなことだったようです。 古畑種基は、日本の法医学者であり、のちに東京大学名誉教授となり、1956年に文化勲章まで受章した権威を保ち続けた人物です。古川竹二の「血液型による気質の研究」は、そういう「権威」に支えられていた側面はとても大きいでしょう。 しかし、この古畑種基が、後年態度が急変し、「血液型と性格」の関係を急に否定するようになります。 というのも、このブームの流れから、古川竹二、浅田一ともに、「大事件」に巻き込まれていくからなんですね。 まず古川は、学説そのものが否定されはじめます。内容が否定される、というより古川が提唱するより前に同様の内容で論文がすでに書かれていたのに、その事について古川が一切触れていなかった、という点が古川の弟子筋から批判が出され始めたからです。 僕が指摘したように、そもそも古川の検査の仕方には甘いところが多々見られましたから、そういう甘い部分がこの時に大きく批判の種にもなったようです。 浅田一の方は、警察の法医学者として、たとえば「ウソ発見器」を日本で初めて開発するなど、大きな業績もあげていたし、「血液型と性格」に関しても、古川竹二の研究よりも一歩進めて小学生を千人以上検査してアンケートを取るような調査も行うなど、精力的に研究活動を続けていたのですが、勤務していた長崎医科大学内での派閥争いに巻き込まれてしまいます。 この話は詳しく書くと長くなるので簡単に済ませますが、とにかく浅田は(本当はそれほど責任があったわけではないのだけれど)辞職して騒動に決着をつけたわけです。 さて、ここで、ブームを作ってきた古川、浅田、古畑という三人のうち二人が世間の評判を落としたわけです。 このタイミングで、古畑は急に「血液型と性格」に関して「否定派」に回るのですね。 いわば火消しに回ったと言って良いと思います。 それは、僕が想像するに、やはり「権威」を保つことこそが、古畑にとって最重要だったからだと思うんですね。 なんせ文化勲章までもらっていますから。ウィキペディアでみても「御用学者」としての批判もある、というような記述も見られます。 ということで、 ●「血液型と性格」の社会史--血液型人類学の起源と展開  松田薫 1991/5/24 という書籍から要約して少し昭和初期のブームの流れを紹介しました。 ともあれ、そのブームの終焉が、結局は「権威を保つため」だったということは、テレビ局がBPO騒動にまでなってしまったあと、火消しに回った構造とそっくりです。 だからこそ、 ●「血液型と性格の間に関係性を示す科学的な根拠はない」 という「決まり文句」に、とても強い「うさんくささ」を感じ取ってしまうんですね。 ということで、今日のメルマガはここまで。 ではまた明日。 --------------[KID'S SIGNAL No.815 -了-]--------------- ====過去記事一覧==== https://hankai.chakin.com/company/kidssignal/index.htm ==過去連載記事などのまとめ== ●文具関連名著42冊のうちのベストテン ●角二の封筒とファイルエクスプローラ。書類管理の基本はこれだ! ●「Stationery Book 42」ブックレビュー https://hankai.chakin.com/company/kidssignal/hukuro_file.html" ●あっと驚くブラインドタッチの秘密 ●ブラインドタッチ練習ソフト「WEEK」とは何か? https://hankai.chakin.com/company/kidssignal/blindtouch.html ------------------------------------------------ 僕のメルマガを面白いと感じてくださったら、 おともだちにメルマガ登録をおすすめください。 よろしくお願いします! ●無料メールマガジン[KIDS SIGNAL]読者登録フォーム https://www.itm-asp.com/form/?810 メルマガ・ブログの内容を紹介したい方は、以下のページが便利です。 ●メルマガ:KID'S SIGNAL & ブログ:コトノハコトバ 記事サンプルとメルマガ登録ボタンのページ http://www.kidashigeo.com/kotonohaselect.htm いつもお読みいただきありがとうございます。 木田 茂夫 :kids@kidashigeo.com

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