[877号] ●バックナンバー一覧に戻る|←前号へ|次号へ→
スーパーマリオブラザーズの「映画」が大ヒットしたんですが、これは「良いニュース」なのでしょうか?
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第877号●2024年1月9日(火)
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
----------------------------------------
このメルマガは、
「メモ・ノート・手帳を使いこなすためのStationery Book 42」
をダウンロードくださった方を中心に、毎日発行でお届けしています。
「Stationery Book 42」の更新情報なども掲載しています。
それらの過去記事のまとめは、メルマガ本文のすぐあとにリンクを掲載しています。
----------------------------------------
読者さん、こんにちは。
ということで、本日2通目のメルマガです。
さて、実は昨日、うちの娘(小4)が「スーパー・マリオブラザーズ・ザ・ムービー」を見たいと言ってきました。
なので、食事をしながら、冒頭部分を少し見たわけです。
この「スーパー・マリオブラザーズ・ザ・ムービー」という「マリオの映画」は、3DCGを使った映画として、2023年の超巨大ヒット作品になっています。おそらく、その無料配信がはじまったことを娘が知って、「見たい」となったのだろうと思うんですね。
しかし、どうにも僕はこの「スーパーマリオブラザーズ」というゲーム自体を、もともと好きではなく、映画の途中で、早々に退散いたしました。
いや、というか、スーパーマリオというゲーム自体が「差別の温床」だと侮蔑しているので、見ること自体が苦痛なのですよ。
そもそも1985年に発売された「スーパーマリオブラザーズ」を僕が最初にやった時、説明書に「クッパにピーチ姫がさらわれた。マリオはピーチ姫を助けるために冒険の旅に出かける」という説明しかなかった時点で、
「これはどうしようもない、クソゲームだ」
と思ったんですね。
こういうアクションゲームにおいて「目的」は、ゲームが終わるまでずっと、行動の理由・基盤となるわけですから、その設定が「不用意な」ままだと、ゲームが終わるまでの長時間ずっと、ゲーム上のすべての行動が「理不尽」に感じられてしまうんですね。
実際、1985年当時も、プレイはしたものの、全然まったく楽しめず、マリオという「ゲーム」から脱落したのが僕なのです。
●「クッパにピーチ姫がさらわれた。マリオはピーチ姫を助けるために冒険の旅に出かける」
という、この設定は、ほんとうに、どうしようもなく差別的な設定です。
どうして「差別的」と言えるか? を整理すると、以下の3つに点に集約できると思います。
●弱き女性は男性主人公に助けられるのが当たり前の存在だ。
●臣民は王家のために命を投げ出すものである。
●主人公は、男性である事を不必要に強要される「ヒゲ」のキャラクターである。
こうして整理して書いてみると、あまりに極端な差別意識が潜んでいることがはっきりして、あらためて嫌悪感がいや増してしまいました。
そもそも、どうして助けられるのが女性、「姫」なのか。どうして助ける主人公が男(しかもヒゲ!)なのか? この点に関してはスーパーマリオブラザーズ発売以降、さまざまな識者から「時代錯誤な設定」として、たびたび指摘されている点なんです。
あまりにはっきりとした「女性差別」を象徴している設定だと指摘されても仕方のない部分だと思います。
また、なんで「姫」を助けるのが城の衛兵などではなく、単なる庶民(配管工)のマリオなのか? ここに至っては、王家が臣民を支配していた君主制の時代まで、時代が戻らないと説明がつかないおかしな設定なんですね。
ほんとうに意味が分からない。
僕の場合は、ここに「自分が操るキャラが髭のオッさんというのは、ダサい。気持ち良くもなんともない」という意識がかなり大きく加わりました。
この「ゲームの目的」が、差別意識のかたまりである、ということは、このゲームを遊んでいる人は、この世界構造を受け入れて、その仕組みに唯々諾々と付き従っている、ということを意味します。
だから、僕から見ると、この映画の世界的大ヒットは、「差別意識がゲームだけでなく、映画ファンにまで広がった由々しき事態」でしかないんですね。
ヒットしていること自体が、いわば災害のようなものです。
だから、この映画がヒットしているという話を聞くたびに、「ああ、世界中に不幸な人間が増えている」「精神を病んだ人間が拡大再生産されている」という認識しか持てないんですね。
実際、映画ではなくゲームの方では、2017年の「マリオオデッセイ」ですら、いまだにゲームの課題・目的は「クッパにさらわれたピーチ姫を救え!」のままなんですね。
いまだに強い差別意識の再生産をやっている。
そういう状況の中で映画がヒットしたら、それは良いことだとは言えないのではないでしょうか?
あまり感心できない「差別意識」を無意識に世界中にばらまいているだけとしか、僕には思えません。
映画作品が大ヒットすると、良い作品なんだと手離しに評価されたりしますが、一概に「売れたから良い作品なのだ」とは言えないよね、という事を、僕は強く主張したいと思います。
ということで、今日のメルマガはここまで。
ではまた明日。
--------------[KID'S SIGNAL No.877 -了-]---------------