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どんな「意識」を大切にして生きていくかは、人生に天国と地獄ほどの大きな違いをもたらすと思います。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第881号●2024年1月13日(土)
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読者さん、こんにちは。
最近、お笑い界の超大物が性加害報道で活動休止になってますが、みなさんはあれについて、どう思いますか?
僕は彼は完全にクロで、完全にアウトで、おそらく今後10年くらい復帰はないと、かなり厳しく見ています。
で、今日ここで話題にしたいのは、そういうゴシップ的なお話ではなくて、「意識」というものについて話したいのです。
実は有名芸能人は、こういうマイナスイメージの報道を受けることがよくあります。
しかも、本当に事実無根の報道で、マイナスイメージを背負わされ続け、大変に大きな経済的被害を受けることも充分にあるんですね。
それは、ゴシップ記事を捏造すれば、それだけで話題になって、ニュースが大金が入るという報道側の「儲けの構造」があるからです。
ほんのわずかでも否定できないような小さな瑕疵があれば、それを超拡大して報道するだけで大変なニュース記事としての収入が入ってくるわけです。
いまのネットの時代であれば、小さな記事でも全国的に取り上げられ、あらゆるメディアで読まれますから、そのたびに情報の使用料として、なにがしかのお金が最初の記事を作ったところに転がり込んできます。
「ああ、芸能人は大変だなぁ、そんな危険な環境に身を置かねばならないのか。」
と、思いますか? いや、確かにこれは大変なことではあるんですが、どうでしょう? 良く考えてみれば、そういうマイナスイメージ記事で血祭りにあげられていないタレントも数多くいるわけですね。
そこには、はっきりと大きな違いがあるわけです。
多分おそらく、その差というのは「意識」の違いなんだろうと思います。
自分がいったい「何」を求めて、日々生きていくのか? いったい何を「欲しい」と思って生きていくのか?
そういう「意識」の違いなんだと思うのです。
彼はお笑いタレントだったわけですが、彼が本気で「お笑い」のあるべき姿であるとか、これからの「お笑い」を求め続けていれば、こういうマイナスイメージ記事というものは発生するスキすら生まれてこなかったはずなんですね。
単純な話、「飲み会」を開かずに、自宅で昔の漫才のビデオを見てふむふむと唸るとか、Youtubeで無名な新人のネタをていねいに拾うとかしていれば、そもそもマスコミが、ゴシップ記事を作ろうと思っても作れなかったわけです。
彼の場合は、キャーキャー言ってくる女性ファンに鍛えた筋肉を見せびらかして、そこから下心を「魚心あれば水心」に持ち込んでしまおうという魂胆そのものが、透けて見えてしまっている。
お笑い芸人が、毎日筋肉を鍛える意味なんてそこにしかないじゃないか、と素人にも見えてしまっている。そこが「ナントカ砲」をぶち込まれる原因になっているわけです。
「お笑いのあるべき姿の追求」と、かなり堅苦しい表現で書いてしまいましたが、これはそんなに難しい話ではなくて、自分が生きていて、何を達成したいなと思うか? とか、自分が本当に心から「幸せだなぁ」と感じることはなんなのだろうか? ということを、ていねいに求めて行けば、必然的にたどり着いていたはずなのです。
「ほんとうに自分が望んでいるのは何なのか?」というのは、実は自分の内側に深く入っていくことと、周りからどんな期待をされているのか? ということの両方を冷静に見つめていくことなので、たぶん「あ、そうか、これが求めていたことだったのだ」と気付くには、けっこうな時間、あるいは静かに自分を見つめる時間、というものが必要なはずです。
しかし、そこを求めずに、世間一般に転がっているおもしろさである「女の子にモテたい」「好きなようにお金を使いたい」「偉い人の立場になってワガママを通したい」というような下賤な「望み」で満足したつもりになっているから、足元を掬われるわけですね。
幸せを求めるのではなく快楽を求め、喜びを求めるのではなく身の回りの人間の恭順を求めたから、そういう結果がやってくる、ということなんだろうと思うのです。
やはり生まれてきた限りは「ほんとうにうれしい」とか「心から幸せだと感じる」とか、「思ってもいない幸運に心から感謝する」というような本物の生きている意味を味わいたいと思った方が、ずっと幸せで、誰かに足もとを掬われない、安心の生活がめぐってくるのではないでしょうか。
まぁ、こうして言葉にすると説教臭くて、当たり前っちゃあ当たり前の話になってしまうんですけど、まぁそういうことなんだろうなぁと思うのであります。
ということで、今日はそんな抽象的なお話でした。
ではでは、また明日、お会いしましょう。
--------------[KID'S SIGNAL No.881 -了-]---------------