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今日はFaceBookに書いた、「これからの映画産業」について書いた話を転載します。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第896号●2024年1月28日(日)
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読者さん、こんにちは。
今日はちょっと思い立って、「いまの映画業界の世界的潮流」という話を書きたいと思います。
というのも、このところずっと「ゴジラ-1.0」がかなりの話題になっているからです。
でもねぇ、僕は「ゴジラ-1.0」、かなり嫌いなんです。100点満点評価で40点というところ。
もう、超低評価。
でも、アメリカでは、無茶苦茶に評価が高いんですよね。
この差がなぜ生まれたのか? について、昨年末からずっと考えていて、それについてFaceBookでいろいろ書いてたんですが、今日はそのFaceBookに書いた話を、こっちのメルマガでもお知らせします。
とくに映画業界における「フランチャイズ」の話が書きたかったので、これを書きました。
これは「前編」なんですけど、「前編」だけでも超長いので、ご容赦ください。映画という産業の「これから」を考える上で、かなり重要な話を書いてます。よろしくです。
(転載開始)-----------------------------------------
ゴジラ-1.0。僕の評価は40点なのに、なんでアメリカでの評価があれほどに高いのか?
もう、本当に意味が全然わからんで、かなりいろいろ調べてみたのです。
で、「そうか、そういうことだったのか!」ということが、本当に多々あったので、ちょっと書いてみようと思います。
このギャップは
●映画の「フランチャイズ」という世界的な映画商業の問題。
●日本とアメリカの戦争に対するテーマ性と表現の違いの問題。
の二つの問題だと整理できそうなので、前編と後編に分けて書きます。
まず前編「フランチャイズという商業的な問題」編です。
そもそもゴジラ-1.0は、
●日本では賛否両論、アメリカでは大絶賛
という状況なんですよね。
僕は観に行く前は情報遮断しておこうとしてたので、国内の映画ファンのユーチューバーの解説動画とかを一切見ずに観に行ったので、知り合いの評価も高かったし、ユーチューブのサムネなんかでも「神作」とか書いてあったし、岡田斗司夫とか大絶賛の人もいるしで、「日米ともに大絶賛」だと思ってたんですね。
でも、鑑賞後にいろんなユーチューバーの意見を見たりした範囲では、やはり賛否両論なんですね。いろんなところで賛否両論。
そうでなければ「がんばってるけど不満も多い」とかかな? もろ手を挙げて大絶賛というほどではないんです。日本国内では。
これは、ものすごく良く分かるんです。僕自身がゴジラ-1.0は、超低評価でクソ映画で駄作と思ってるし。
でも、ゴジラ好きの人にはものすごく高評価になるんです。まぁゴジラというのは、日本人にとっては、そういうものなんです。(これは詳しくは後編で詳細を書きます。)
でも、それにしては、アメリカで大絶賛というのがいまいち分からない。
それで分かったのは、僕が「モンスターバース」を一切見ていなかったという側面。
これがかなり大きかったんだと思います。
僕の考察では多分、「ゴジラ-1.0はアメリカ製作会社レジェンダリーの要望を、かなり重視した作りなのでアメリカで大ヒットした」ということが、現象の半分の理由だろうと思います。
つまり東宝の世界的なIP(知的財産)であるゴジラを最大限収益をあげられる形に整えるためには、「ゴジラの本質である、人間の敵としてのゴジラ」を、とにかく描かないとダメだという至上命題があって、「全世界的な商業的成功をめざした」作品として、「破壊神」としてのゴジラ-1.0が作られたのだろうな、ということなんです。
そもそも「モンスターバース」におけるゴジラって、さほど人間の敵という感じでもないらしんですよね。人間から見て「怖い」ゴジラというのは描かれてないらしい。そもそもムートーだとかラドンだとかキングコングだとか「ゴジラと巨大生物の戦い」を描いてるシリーズなので、逆に「凶悪な巨大生物から人間を守るゴジラ」という性格もある。まぁはっきりいって中途半端なできそこないなわけです。
そりゃ「人間の敵ゴジラ」としての「ゴジラー1.0」が必要だわなぁと。
ほんまに商業的な意味がかなり大きかったんやと気付いたわけです。
だからゴジラと言えば「初代ゴジラ」である僕にとって、ゴジラ-1.0が「全然面白くない」と感じるのもあたりまえなのでした。そもそも「モンスターバースゴジラ」とゴジラ-1.0を比較するとか想定すらしてないし。「モンスターバースなんてくっだらねぇもん見ねぇよ、そもそも」という話ですからなぁ。
比較対象が「初代ゴジラ」なのか「モンスターバースゴジラ」なのかの差はかなり大きいと思います。
多分僕のような、ゴジラそのものには思い入れがなく、ゴジラと言えば「初代ゴジラ」であり、せいぜいが日本国内でしかヒットしなかった「シン・ゴジラ」くらいしか見てない観客は、そもそもモンスターバースを中心とした全世界のゴジラ市場においては「ターゲット」ですらないわけです。
「モンスターバース」も見ていない人間は、もともと「ゴジラ-1.0」のお客さんじゃないわけです。相手にされてない。全世界を商圏として見た時に、日本国内だけの小さな要望は無視・削除してあたりまえですからな。そういうことなのでしょう。
いくら映画好きではあっても、ゴジラファンじゃない観客なんか、レジェンダリー、あるいは全世界市場を見ている東宝にとっては、どうでも良い客なわけです。いや、真っ先に切り捨てるしかないような客なわけです。
だって今後ゴジラ(モンスターバース)に金を落としてくれないんだから。そりゃ、製作陣から相手にされませんわな。(相手にされてないというか、そこまでのフォローしてる余裕が、制作者側にない、ということなんですけどね。)
一度しっかり書かないといけないと思ってるんですが、これからの映画は、きちんとした「フランチャイズ」にしない限り生き残っていけないんですよ。特にゴジラのように昔の「特撮」、いまで言うなら「CG」メインの作品は。
これからの「フランチャイズ」化していく映画世界は、
1●ユニバース化(共通設定で物語が続く「続き物」、昔で言う1,2,3とシリーズ化するという奴)
2●配信サービスに対応したドラマ(従来のTVドラマのように、ゆったりしたスピードのドラマ)
3●マルチバース(キャラなどは共通だが、別バースで世界的につながりのない独立した作品。外伝もの)
の3本柱がキチンと整っていないとうまく機能しなくなるし、結果的にペイしなくなって、世界そのものが継続できなくなるでしょう。
ゴジラ-1.0は、この中の3のマルチバース(別世界)ゴジラとして存在していて、モンスターバースの外伝的な位置づけになるわけです。
これはスーパーマンやバットマンなどのDCのユニバースとは「別世界」としてバットマンの悪役「ジョーカー」だけを描いたホアキン・フェニックスの「ジョーカー」のポジションに近いです。
あの「ジョーカー」は内容的に本当にすばらしかった。
いまの世界の新自由主義の問題を実感としてグリグリとこそげ取るように描いていて、アメコミ映画が文芸作品にのし上がるひとつの可能性を見せてくれたと思います。(あの作品はCGはほとんど使ってなかったと思う。)
で、この「フランチャイズ化」は、映画業界においては、好むと好まざるにかかわらず、そうならざるを得ない火急の課題なので、四の五の言っている場合ではないわけです。レジェンダリー・東宝にとっては飯のタネであるゴジラが生き残れるかどうかの最重要課題でしょう。
ゴジラの場合は「モンスターバース」がなければ、数多くの「ゴジラを知っている人」が生まれないし、ゴジラが映画として商業的に成立することもないんです。
「続き物」の映画シリーズとして「モンスターバース」があるから、やっとなんとか世界市場で生き延びれる、ということです。
そして、その「モンスターバース」の世界や魅力を押し広げる「別世界のゴジラ」として「人間の敵:ゴジラ-1.0」があるわけですね。
これで「モンスターバース」の顧客層も広がるし、フランチャイズの寿命も伸びる、ということなわけです。
で、ゴジラの世界は、配信サービスというフォーマットに対しては、「モナーク」が作られてます。
●ゴジラ初のドラマシリーズが配信開始!
Apple TV+オリジナル 『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ』は迫力が段違い!
https://safarilounge.jp/online/culture/detail.php...
この「モナーク」は、モンスターバースゴジラを好きな人からは、かなり高く評価されてるようです。面白いらしい。(僕は見ませんが。)
だからゴジラはモンスターバース、配信サービス向けモナーク、外伝としてのマイナスワンゴジラ、と、フランチャイズとして生き残っていける要素をしっかりと備え始めていると言えるわけです。
(それでもマーベルのMCUと比べると層は薄く、本当にフランチャイズとしてはカツカツだなぁと僕は思いますが。)
実際、
●モンスターバースゴジラ
●マイナスワンゴジラ
●モナークゴジラ
の三種類を並べると、確かに「ああ、これで最低限の基本要素がそろったねぇ」と感じます。
ここまでラインアップを整えるだけでもレジェンダリー・東宝にとっては必死だったんじゃないか? と思います。
そもそも、モンスターバースゴジラの一作目である「GODZILLA ゴジラ」が2014年なんですよね。
でも、MCU(=マーベル・シネマティック・ユニバース)の一作目である「アイアンマン」が2008年で、その後「ハルク」「キャプテン・アメリカ」「ソー」などが作られたあとにスーパーヒーローの集合作品である「アベンジャーズ」の1作目が作られてますが、これが2012年なわけです。
モンスターバースの1作目「GODZILLA ゴジラ」は、なんと、このアベンジャーズの2年あとなわけです。
もう、ユニバースものとしては周回遅れに近い。MCUのスタートは「アイアンマン(2008年)」だから、そこから比べれば6年も遅れてるわけです。
でもそこでなんとか「モンスターバース」というユニバースを作った。エライ。遅れてでもフランチャイズにしないとダメだと気付いているところは、本当に素晴らしい。
日本の映画業界では、いまだにキチンと語られてませんが、多分今後の映画市場は「フランチャイズ」化されてないと、生き残ることすら難しいということになると思います。
(この「フランチャイズ」に触れていないとか、見てない、分かっていないという人は、これからの映画のことはまったく理解してない、ということです。フランチャイズを分からずして映画は語れない時代にすでになっちゃった、ということですね。)
フランチャイズは、
●ユニバース化
●配信ドラマ
●外伝もの(マルチバース)
この3種であり、ゴジラはそれをちゃんとやった。だからウケている。ここが重要。
ゴジラは他のシリーズに比べればかなりマシな方でしょう。ちゃんとフランチャイズをやっている。今年やっとこの3本柱を打ち立てたし、大ヒットにもつなげられたのだから。
モンスターバースはすでに、
「GODZILLA ゴジラ」
「キングコング:髑髏島の巨神」
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」
「ゴジラvsコング」
と4本のシリーズ作があります。これが全部お話はつながっているし、この4本が、「ゴジラ-1.0」の「宣伝材料」になっている、ということです。
この前宣伝なしに「ゴジラ-1.0」のヒットはありえなかった、という話ですね。
(ちなみにMCUは、2019年の「エンドゲーム」「スパイダーマン:ファーフロムホーム」までのフェイズ3の終わりまでで、劇場公開作だけで22本あります。これらがすべて配信サービスで公開されていて、それ以外に配信ドラマが何本もあり、すでにフェイズ4の映画が何本も公開されています。これらが全部つながっていて、それぞれがそれぞれの「宣伝材料」になっています。2008年のアイアンマンからとんでもない広がり方をしているのです。映画というものの超大革命なんです。映画を考えるなら、これを分かってないと本当にダメだと思う。)
実際、日本国内で「ゴジラ-1.0」を高く評価してるのは、基本的にモンスターバースを観てきた若い層と、昔からずっとゴジラファンだったノスタルジーでゴジラを見ている層の2種類だと思います。
「賛否両論」の「賛」は、基本的に上記ふたつの層です。それ以外は「否」でしょう。これは当然そうなります。(なんでそうなるかは後編で書きます)
アメリカで超特大ヒットになってからは、モンスターバースも見ていないのに、アメリカで大ヒットしてるから、見てみようと観に行ってる層がこの一二か月で出てきましたが、そういう人の感想は、総じて、まぁ「及第点」という感じ。
そうなるわなぁ。とは思いますがね。
ということで、ゴジラ-1.0の
●日本では賛否両論、アメリカでは大絶賛
の背景理解の半分の理由である、
●映画の「フランチャイズ」という世界的な映画商業の問題。
についてはこういうことでした。
残り半分の
●日本とアメリカの戦争に対するテーマ性と表現の違いの問題。
はまた書きます。
ではでは。
--------------[KID'S SIGNAL No.896 -了-]---------------