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今日は「映画の作り方」を実際に体験した、僕自身の若き日のエピソードを、ちょっと語ってみたいと思います。意外に重要な体験をしてるよなぁと思いました。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第955号●2024年3月27日(水)
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読者さん、こんにちは。
一昨日、3月26日は、理由は分かりませんが、一部の方数名のアドレスがエラーになりまして、メルマガが届いておりません。
ということで、昨日はいったんメルマガの配信を停止して、とりあえずシステムの処理をしていました。
そして、本日は、まず、昨日分(3/27日分)のメルマガを配信させていただいて、復旧がどこまでできているかを確認させてもらいます。
その後、もう一度、本日分の配信をして、エラーに関する処理を進めようと思っておりますので、ご了承ください。
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この数日思ってるんですが、僕はもともと大阪芸大の映像計画学科というところで映像の作り方とか学んでいたんですね。
だから、そもそも「映像」に関してはものの見方が一般の方とはちょっと違うのかもしれないと気づいてきました。
先日のアカデミー賞での「ゴジラ-1.0」と「君たちはどう生きるか」の受賞に、まったく、一切、ちーとも、全然、なんの感動も喜びもなく、おもしろくもなんともないと感じてしまうのは、そうか、多分「映像」というもののとらえ方が一般的な素人とはかなり異なっているからだろうな、と思ったわけです。
芸大時代は、自分たちで一本映画を撮らないと単位がもらえなかったんですね。
なので、当時のことですから、8mmフィルムを使ってグループ単位で、映画を撮っていたんです。
で、ある時、仲間の一人が書いたシナリオに沿って撮影するというので、その手伝いに行ってたんですね。
まぁ撮影と言ってもほぼ素人の学生ですから、いつもだと友達を呼んできて出演者になってもらう、というのが定番なわけです。
で、撮影するときには、素人が演技をするわけですから、ここはこうしようああしようと、撮影する側が考えて、素人の友達に指示を出す、というのが当たり前だったんです。
ところがその時は、たまたま、おなじ芸大の学部で舞台芸術学科(演劇科)の学生が友達として来ていて、簡単なシナリオの説明をして、撮影に入ったんです。
特にセリフのあるシーンではなくて、シナリオのト書き(説明文)で、
「仲の良い恋人同士が遠くから歩いてくる」
というだけのシーンです。
100メートルくらい離れたところから、その演劇科の女の子と、我々の友達のボーっとした野郎ひとりが並んでいて、カメラに向かって歩いてくる、というだけのシーンなわけです。
で、そのシーンの説明を、撮影スタッフである僕たちが、素人の男と、演劇科の女の子に説明しはじめたんですが、ト書きの説明と、カメラ位置と、歩き始めのスタート地点を伝えただけで、その女の子は「分かりました」と言って、素人の男とともに100離れた位置まで歩いて行ってしまったわけです。
この時、カメラマンとその助手をしていた僕と、シナリオを書き監督をしていた男は三人とも「えー、もう行っちゃったよ。演技をどういう風にするかとか話しなくて大丈夫か? 見つめあうとか、手をつなぐとか、なんかそういうの。そういうことしないと、あいつ素人だよ? 固まっちゃうよ」という風に思っていたし、そういう会話もしていたはずです。もう記憶にないですけど。
でまぁ、「まぁ2~3回テストして、なんとかカタチになったら撮影しようか」ぐらいのことでテストを始めたわけです。
で、「じゃあテスト行きまーす! スタート」と言うと、二人はカメラの方に向かって歩きだしたんですが、女の子の方が素人男に話かけ、素人男は「ええ? ああ、はい」という感じで彼女の方を見て返事をしたんですね。で、次の瞬間、彼女は、素人男の腕を取って、抱き着くかのように寄り添って、そのまま歩いてきたわけです。
この彼女の「演技」を見た途端、もう我々スタッフ一同「完璧! すごい! 最高!」だったわけです。
その後も、この日の撮影の話は語り草になりました。
これこそがね、「シナリオ」と「演技」というものの関係なんですよ。
シナリオには、ストーリー展開にとって必要な最小限の言葉が明確に書かれている。この場合は、
「仲の良い恋人同士が遠くから歩いてくる」
です。
この言葉の意味からはずれたことをしてはいけません。はずれてしまえば、ストーリーの構造が変わってしまうわけですから。
しかし、言葉で書かれているのは、本当に一言だけです。それをどう解釈して展開して広げていくかは、役者の力量にかかっている。
この場合は、素人男しかいないわけですから、演技の場を支配するのは演劇科の彼女のみです。彼女はそれを自分の発想と演技力で見事に展開したわけです。
そしてそれは、撮影スタッフである我々の想像を大きく超えて、よりイメージの広がる素晴らしいシーンになったわけです。
これこそが共同作業である「映画」というものの作られ方だ、ということだし、この経験こそが、僕にとって映画や映像制作物を鑑賞し評価するときの基準になっているわけです。
で、この基準で、「ゴジラ-1.0」と「君たちはどう生きるか」の2作を観た時、もう本当に根底から全然ダメダメな映画なんですよ。
両方ともに、単に監督の「妄想」の範囲を超えていないんですね。共同作業としての表現媒体である「映画」になっていない。薄っぺらすぎて見ていられないものなわけです。
もう、そこははっきりしている。
ま、そういうことを、ふと思い出したわけです。
この若き日の体験こそが、僕のかなり重要な価値基準になってるなぁってことです。
ということで、今日はちょっと言葉足らずかもしれませんが、ここまで。
この続きはまたいずれ書くかもしれません。
ということで、ではではまた。
(メルマガ終了:ここまで)------------------------------------------------------
--------------[KID'S SIGNAL No.955 -了-]---------------