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先日鑑賞した「オッペンハイマー」の感想を、ちょっと簡単に書いておきます。

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第978号●2024年4月19日(金)
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読者さん、こんにちは。
ということで、本日二通目のメルマガです。
一通目で「バカにまかせたらロクなことにならん」という話を書きました。
実は、「オッペンハイマー」の感想を書こうと思ったら、結果的に大阪万博のアホさ加減と同じような「バカはどうしようもない」という話になってしまうよなぁと思ったのですね。
なので、そういう話を書きます。

えー、まず先に大事なことを書いておきます。
アメリカという国は、政治におけるどんな情報であれ、50年たったら資料が公開される、ということになっているんです。

これは本当に重要なことで、50年経てば、政治の裏で隠されていた出来事も情報請求すれば、キチンと明るみに出る、ということなんですね。

この取り決めがあるから、アメリカという国は「自分たちのやってきたことの反省」ということができる仕組みになってるんです。

なので映画においても、たとえばアメリカ原住民(昔の呼び名ならインディアンですな。古すぎやけど。)を迫害してアメリカという国を建国したことも、映画の「ダンスウィズウルブス」とかでちゃんと描いてるし、日本に侵攻してきた明治時代のアメリカの残虐なふるまいも「ラストサムライ」とかで描いていたりするわけです。

で、今回はかなり時代が現代に近づいてきて、1945年ごろの話ですから、80年くらい前の話なわけです。
で、映画を観ると、それこそ、僕が少しずつ勉強してきた原爆投下まわりのさまざまな政治的状況や科学の進行状況などが、本当に史実に基づいて、ほぼ「正確」に描かれてたわけです。

感心したのは、日本に原爆を落とした前後の話で、

●「ナチが原爆を作るより先に!」と研究がスタートしたのに、ヒットラーが自殺してドイツの興隆はなくなったのに開発を続けたこと
●その際、投下する対象が日本に切り替わったこと
●その日本も、ほぼ先がなく、降伏寸前だったこと
●投下予定地が12か所あったけど、京都だけは審議するメンバーのリーダーの一存で投下をまぬがれたこと
●広島への投下以前に「東京大空襲で何万人も死んだ」こと
●その死亡ははっきり虐殺だったこと
●原爆の被害は2万~3万人規模の死者と見積もられていたのに、爆弾で11万人、そのごの被爆被害で11万人、計22万人の大虐殺だったこと

などなど実際の投下に至るまでの細かな流れが、それこそ淡々と、事実として主人公オッペンハイマーに突きつけられる、というシーンがあるわけです。

もうはっきりと「大虐殺」の現実をセリフに入れてるし「虐殺」という言葉も使ってるわけです。
本当に現実を直視している。

確かに日本に原爆が落とされたシーンは描かれていないのですが、逆に、この周辺情報を正確に資料の通りにセリフにする、というところは、アメリカ国民にとって、聞いていて気持ちの良いものではないはずなのに、そこをこそしっかりと伝えているところは大したものだなぁと思わざるを得ないわけです。

そもそもね、アメリカにおいて「原爆」というものは「狂った軍国主義国の日本の暴走を停止させ、降伏に導いた正義の技術」ということになっているわけです。

●原爆こそ正義

これがアメリカの一般的な国民意識なんですよね。

そういう状況の中に、この「ヒットラーが死に、日本も降伏寸前なのに、軍人たちの恣意的な計画で広島と長崎に原水爆を落とし、虐殺した」という事実を突きつけるのは、そりゃすごいことだと思います。

おそらく「オッペンハイマー」がアカデミー賞を取ったのは、ようするにアメリカ国民が「いやな現実を突きつけられた」ことによる「ヒステリー状態」になってるってことなんだと思うんです。

このあたり、実は「国民のヒステリー状態」というのは、「オッペンハイマー」の中でも描かれていて、それは1945年当時の原爆の成功が、「科学の勝利」として、国民みんなが狂喜乱舞している姿として描かれているわけです。

で、その日本人からすれば「バカの極み」の出来事が、この「オッペンハイマー」で描かれることで、まったく逆の「戦争は嫌だ!」というヒステリー状態をアメリカ国民に与えたんだろうなぁと感じ取られたわけです。

まぁどっちにしろ「ヒステリー」にしかならないところが、アメリカ国民のバカさ加減が良く出てると思うんですよ。
で、主人公のオッペンハイマーは徹底して頭の良い側の人間なので、そのヒステリー状態にすごく違和感を感じているわけです。

なんせ、原爆を作るような人間、科学者ばかりが登場する話ですからね。登場人物全員がみんな超インテリなんですよ。これは本当にインテリ人間たちの群像劇なんです。

そのインテリたちが「軍隊」という暴力の極みの組織とつながってしまう不幸は、まさに「バカとカシコの不幸な関係」そのもので、なんとも言えない後味の悪さがあるわけです。

ほんとうに、バカこそが戦争をやり続けるんだよな、というのが良くわかる映画なんです。

これを見て思ったのは、例の「ゴジラ-1.0」。

あれねぇ、本当にバカな映画だと思う。もう、オッペンハイマーを見たら、「ゴジラ-1.0」の大人気もアカデミー賞も、アメリカ人の「ヒステリー」の影響なんだと嫌でも分かってしまう。

で、その「ゴジラ-1.0」の内容が、やはり同じく「原爆」を取り扱っているのに、あまりに薄っぺらすぎて、オッペンハイマーと比べると本当に「バカの映画」で見ていて恥ずかしくなってしまうんです。

だって、世界で唯一の被爆国なのだから、その悲惨さとかを冷酷に描かないといけないのに、「飛行兵がひとりでゴジラと戦って勝つ」映画ですからね。
あほくさくて見てられない。

オッペンハイマーを見るまでは「ゴジラ-1.0」は40点の評価だったんですけど、オッペンハイマーを見て、点数を15点に減点しました。
本当に圧倒的にダメダメだわ。
現実直視が全然できてない。
箸にも棒にもかからない。

山崎貴ってアホやねんなぁと思うばかりです。

えー、ちょっと長くなってしまったので、この話はここまで。
この話の続きは、またしましょう。

ではでは、また明日。


--------------[KID'S SIGNAL No.978 -了-]---------------


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