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映画「オッペンハイマー」と「ゴジラ-1.0」の、あまりの違いに、ただため息をつくばかりです。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第979号●2024年4月20日(土)
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読者さん、こんにちは。
今日は、昨日の「オッペンハイマー」の感想の続きと、おなじくアカデミー賞の視覚効果賞を取った「ゴジラ-1.0」の話とを比較して考えていきます。
昨日も書いたようにアメリカでは、ほとんどの機密文書は50年経てば一般公開されます。なので、歴史上の「背景」というものが、公的に閲覧され参照されるわけです。
で、この国の方針のおかげで、「オッペンハイマー」は、役者の芝居がとても面白い内容になっているんですね。
役者というのは、個々のキャラクターが「なぜこのセリフを言ったのか?」とか「どういう感情からこう行動したのか?」とかを論理的に考えて演技を組み立てるわけです。その「理由」を考える際に、この「機密文書の公開」は、背景情報を統一するためにとても大きな役割を持つことになります。
「ああ、政府としてこういう方針だったんだ」
「この時の推進メンバーがこういう人たちだったからこうなったんだ」
「業界としてこういう流れがあって、それを国が後押ししたんだ」
などなどが明確だから、個々の役者の演技にも真実味が加わるし、ドラマ内でのキャラクター間の対立などにも論理的齟齬が起こりにくくなります。
実際、「オッペンハイマー」には、かなりの数の登場人物が登場しますし、個々に立場も考え方も行動の規範も違うのですが、そこで起こるやり取りやドラマに論理的齟齬がなく、それゆえ見ていても理解しやすいですし、リアルさが感じ取れて面白いわけです。
役者の方々にしても、当時の資料や映像などを参考に演技を組み立てるのだろうと思いますが、その際に当時の政府の秘密の方針などが明らかでないと、筋の通った演技などできないだろうと考えられます。
なので、「オッペンハイマー」は、オッペンハイマーを主人公としながらも、数多くの登場人物がそれぞれに論理的整合性を保ったまま、時代の動きを感じさせる「群像劇」としての面白さが浮き出てくるわけです。
「原爆」という時代を画する技術の誕生ストーリーなのですから、「群像劇」にならねばならないのは当たり前の話で、それをオッペンハイマーという主人公を通して描いているという形式は、分かりやすさを保ちながらも「社会性」や「時代性」も描けている、実に見事な仕上がりだと思います。
さて、同じ「原爆」を扱いながら、「ゴジラ-1.0」は、群像劇としての力がものすごく弱いんですね。そもそも、戦後の米ソの緊張関係のために、日本がゴジラ制圧のために自衛隊を出動させることができない、という「政府排除」の設定を取っていること自体が、この「ゴジラ-1.0」から社会性をまるまるスポイルさせてしまってリアリティがいきなりガタ落ちになっています。
●民間人だけで「ゴジラ(=核の恐怖)」を制圧する
という構図がそもそもおかしい。「核」を描くのに「わざわざ民間人のみで戦う」という設定を持ち出すこと自体が、あまりに滑稽で見ていられないわけです。こんな設定が気にならない人間は、よっぽどのバカだけだと思うのです。(良くは分からないのですが、この設定の説明を、アメリカの「字幕」では、かなり上手に処理していたらしいのですが、具体的には良く分かりません)
現実の「世界」を見てみると、核兵器を人類社会からなくそうという考え方を持つ「核兵器禁止条約」が2021年1月22日に発効されています。賛同した国の数だけを見れば93か国と圧倒的な賛成多数です。
しかしながら、核兵器を持つ国と、核の傘に守られた同盟国は、この条約に賛成していないし、批准もしていないわけです。これが「世界」の現実で、この現実を背景情報として描かない限り、「核」をテーマにした映画とは言えないはずなんですね。
ところが世界で唯一、被爆した国である日本は、この「核兵器禁止条約」に賛成も批准もしていないわけです。まさにアメリカの奴隷状態と言えるでしょう。
唯一の被爆国として、そして三百年間の鎖国と平和を実現した礎となった「刀狩」を実行した国として、加えて世界の先進諸国が不可能と考えていた「列車の1分以内の発車・運行」を実現した国として、まずは「核兵器禁止条約」には賛成の意思を示すべきだ、というのが僕の意見です。
「理想主義は敗北主義だ」という分かったような「おバカな現実主義」を掲げる低能な人間たちに「お前らはそやから救いようのないバカなんだよ!」と、横っ面を叩いてやりたい。
「理想を掲げもしないで実現できるはずかなかろう。大阪から東京に行くには東京に行く!と目的地を決めなきゃ絶対に行けないんだよ。最初から東京には行けないから名古屋で我慢しとこうというようなクソみたいなおバカな考えを持つことが『現実主義だ』とか言うやつが世の中を不幸にするんじゃボケ!反省しろ!反省を!」
と言うことだけは書いておきたいわけです。
その意味で、「ゴジラー1.0」は、本当にダメダメな映画だと思うわけです。
初代ゴジラのストーリーが、ゴジラを打ち倒す「オキシジェンデストロイヤー」という「原爆より強い武器」で倒されるわけですが、その構造を理解している世界で唯一の頭脳である芹沢博士が、自分の頭脳とともに「オキシジェンデストロイヤー」を葬りさる、というものになっていて、明確な「武器否定」なわけです。
こういうテーマ性を持っていたからこそ日本のゴジラは日本人のためのゴジラだったわけで、今回アカデミー賞を取った「ゴジラ-1.0」はお世辞にも一作目のゴジラのテーマ性を受け継いでいるとは言えません。
まぁ、日々亡くなっている被爆者の方々からは不評なんじゃないでしょうか。原爆を落としたアメリカにおもねっているというような捉え方にどうしてもなるだろうなと思います。
核兵器禁止条約を批准した国が一同に会して今後の進め方を決めていく「核兵器禁止条約第一回締約国会議」には、実は、米国の「核の傘」に依存するオーストラリア、ドイツ、ノルウェーが「オブザーバー」として参加しています。核の傘に入っていながらも、核兵器禁止の在り方を核の傘に入っている側として参考意見に耳を傾けるという形です。
しかし、このオブザーバー参加すら日本は行っていません。唯一の被爆国なのに。(唯一の被爆国だからこそ? なのかどうかは良く分かりませんが)
ということで、まぁ彼我の差というか、オッペンハイマーとゴジラマイナスワンだと、とんでもない差でして、僕はただただ恥ずかしいだけですね。特殊効果賞も言うならば「被爆国へのおめこぼし」的なものとしか感じないんですよねぇ。(実際おそらくそういう心情はアメリカ人にはあると思う。)
ま、ひたすら情けないダメダメな映画が「ゴジラ-1.0」だと思います。はい。
長くなりましたが、今日のメルマガはここまで。
ではまた明日。
--------------[KID'S SIGNAL No.979 -了-]---------------