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「ToDoには見込みの予定時間を書き込んでおこう」という記事を見かけたら、その記事は完全無視してOKです。そのくらいおかしな話です。

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1014号●2024年5月25日(土)
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読者さん、こんにちは。
今日は昨日の話の続きです。

昨日、チラリと話ましたが、箇条書き手帳術である「バレットジャーナル」の毎日の予定管理手法「デイリーログ」は、まっさらなノートに、毎日日付を書き、その下に「今日やるべきことを書き込む」というやり方で、とにかくフォーマットも何もないノートにどんどん行を足していくだけの書き方なわけです。

これは従来の手帳の「先にフォーマットを印刷しておいて、手書きする手間を省く」という考え方とは真逆で、「フォーマットは一切決めずに、日付を手書きで書いて、無駄なスペースなく、次々に「ToDo=箇条書き」を付け足していくというやり方なわけです。

で、この「無地」とか「白紙」のまま(もちろん普通の横罫のノートでも良いのですが)、「フォーマットを決めずに書き込んでいく」というやり方は、昨日もちょっと書いたように、

●そもそも予定や計画の時間見積もり自体が難しい

ということを、先に受け入れておく態度から成立することなのです。

これね、もう、僕はつねに、何度も何度も、いろんなところで、いろんな人に言っているセリフがありまして、それは、

●人間は神様ではないから、一瞬先の予定も分からない

ということなんですね。

僕は、この考え方が、この世のゆるぎなき現実だと考えているので、このベーシックな考え方に大きく逆らうような発想で何かを語られると、ちょっと「イラッ」とするんですね。

だって、東北の大震災を思い出しなさいよ、と思うわけです。あんなことがあったら、予定なんて簡単に吹っ飛んでしまうし、で、それは予定を吹っ飛ばす方が「正しい」わけです。
ああいう不測の事態が起きた時に「予定した見積もり時間が」とか言うやつがいたら、完全にバカですから。

で、現実というのは実は東北大震災ほどの大災害ではなくとも、「不測の事態」なんて毎日、必ず起きているものなのです。

だから

●ToDoに必要時間を書き込んでおけ

という考え方を書いている記事とかを見ると、「こいつバカだね」と思うんですね。

いや、それはそもそも無理やから。できないことをやってどうする。
というか、それを考えること自体がものすごく大きな無駄だと、なぜ気づかない?

なぜなら、

●やったことのある作業はどのくらいの時間が必要か、すでに分かっているから時間見積もりは不要
●やったことのない作業は、そもそもどのくらいの時間がかかるかわからないから時間見積もりはできない

ということなんですよ。

だから、どっちにしてもToDoを書くときに「時間見積もり」なんて書く必要がないし、それを考えること自体がものすごくおおきな時間のムダなわけです。
(ただし、作業時間の時間計測は重要ですが。これはまた別の話です。時間計測をして、どのくらいの時間がかかるか体に入れておくかどうかが一番重要。)

どの作業にどのくらいの時間がかかるかキチンと分かっていたら、そもそもノートや手帳にToDoをつける意味なんかないと思います。

作業時間が分かる事柄は「ルーティーン」の作業だから、そもそもそういうことを、手帳やノートにToDoとして書かないんですよ。
どういうことか分かりますか?
具体例で、分かりやすく言うなら、

●スーパーに買い物に行く(30分)

と、ToDoリストに書くことなんかない! ということなんです。

この項目、パッと見、とてもしっかりした予定表に見えますけど、現実問題、こんなことは書きませんし、書いたこともないです。
違います?

書くとしたら、

●納豆、チーズ、鶏肉、牛乳

という買い物の細目でしょう。これは書く。忘れたらやばいから。

で、そりゃスーパーに買い物に行くのは通常30分くらいはかかりますが、そんなことを予定表に書き込む人もほぼいないでしょう。
買い物の細目が決まれば、必然的に、移動時間を含めて時間見積もりは体の中に入ってるんです。わざわざ書く必要なんかない。
でしょ?

で、買いに行くスーパーだって、A店にあの商品はおいてあるけどB店にはない。でもA店に行くにはちょっと時間がかかる、とかを考えるわけでしょう。

で、「ああ、納豆とチーズは今日でなくても良いから、明後日映画を見に行く帰りに買おう」とか考えるわけじゃないですか。

こういう時間見積もりと計画・予定の立て方というのは、細目だけがあれば必然的に決まってしまう事柄であって、逆に、

●スーパーに買い物に行く(30分)

なんて書いてあったら、「●●をするついでに●●をする」という時間効率を高める発想をスポイルしてしまうだけなわけです。
はっきりバカのすることなんですよ。

●「ToDoの時間見積もりをしよう」と書いてある書籍やサイトがあったらバカの戯言と完全否定すること

と覚えておくと良いと思います。ToDo自体がそもそも「机上の空論」なのですから、それを現実に落とし込むには、時間的工夫が絶対に必要になるんです。1時間かかることを20分×3に分割するとか、なんらかの工夫がいる。

そのためには、「時間計測」は必要であっても、「時間見積もり」は不要です。
(で、時間計測をするためには「とりあえず20分だけ作業する」とかのポモドーロテクニックが最適解でしょう。多分それ以外に解決策はない。)

だから、「ToDoの時間見積もり」を唱える奴はバカと判定することが正しいと思います。だってそもそも、何かにチャレンジする時に「どのくらい時間がかかるか?」なんて分からないんだから。

これ、

●ミスプリント用紙の裏側を使おう

と提唱するバカとほぼ同義です。これも、正しくは

●ミスプリントは出さないようにしよう

が正しい目標であって、「失敗した紙が大量にある」ことを前提に何かの方法論や仕組みを考えること自体がバカとしか言いようがないわけです。

●スーパーに行くのは30分程度

と時間見積もりはできるけれど、そんなところに時間を費やすくらいなら、何を買うかのリストアップを優先すべきなのは、当たり前の話。

ましてや、「ToDoの時間見積もりを考える」という事は、「机上の空論の上に、机上の空論で、仮想的時間計測を行う」という屋上屋を重ねるような発想なのです。

だから、こんな事はToDoを考える時に、真っ先に省略すべき事柄なのです。ほんと、よく考えてください。マジで。
分かってない人はバカです。何度も書きますけど。

でも、本当に「ToDoの時間見積もりをしよう」とする記事やら書物やらはものすごく多いです。
もう、それが書いてあったら、「この人はキチンと考える習慣のない人だ」「雰囲気と気分だけで平気でモノを言う人だ」と判定してまず間違いありません。信用しないのが良いと思います。

今日はずいぶんと辛口になってしまいました。
でも、これ、本当にずーっと思ってることなので、ちょっと書きだしたら止まらなくなっちゃうんですよね。

ということで、今日のメルマガはここまで。
ではまた明日。


--------------[KID'S SIGNAL No.1014 -了-]---------------


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