[1031号] ●バックナンバー一覧に戻る←前号へ次号へ→

いろいろな意見はありましょうが、「AIが人間を超えるシンギュラリティ」は、基本的には起きません。断言します。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1031号●2024年6月11日(月)
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

----------------------------------------
このメルマガは、

「メモ・ノート・手帳を使いこなすためのStationery Book 42」

をダウンロードくださった方を中心に、毎日発行でお届けしています。
「Stationery Book 42」の更新情報なども掲載しています。
それらの過去記事のまとめは、メルマガ本文のすぐあとにリンクを掲載しています。
----------------------------------------

読者さん、こんにちは。
昨日、ぼくなりにAIツールに対する使い方のスタンスなどを書いてみました。基本は、

●人間が不得手とする分野をサポートする。
●特定分野のプロが特殊分野で賢く活用する。

の2方向でAIは使われて行くと思うので、世の「知的」と呼ばれる方々が「AIの思考・判断が人間を超えてしまう。それは恐ろしいことだ」という意味の「シンギュラリティ」に関しては、僕は明確に「起こりません」という立場をとります。

それも、かなり確信を持って「そんなバカなことが起きるわけないでしょ。ちょっとは人類の技術の発展史を振り返りなさいよ」と思うわけです。

この手の話に関しては僕はいつも、

「そもそも新しい技術は『人間を超えてなければ市場として成立しない』のですよ?」

ということをずっと言い続けているんです。

「人間を超える」

という判断をたとえば自動車に置き換えてごらんなさい。自動車のスピードが、人間の走るスピードを超えるかどうかなんて、そもそも議論すること自体がバカだと思いませんか?

自動車に関しては、現実問題としてはおそらく「馬」との時速比較になって、それを超えない限りは「買いたい」という人自体が現れるはずはないわけです。つまり「人間社会に技術として組み込まれない」ということです。

で、人間を超え、馬を超えたから、自動車は人間社会に定着したわけでしょ? AIだって同じです。つい数年前までのAIというのは、そもそも「人間と比べて遜色ない」というレベルの存在でした。つまり「移動スピード」で言えば、「人間が走る速度と同程度です」というモノだったわけです。
こんなものが、「商品」として購入されるはずがありません。だからAIは騒がれても普及はしなかったわけです。

で、いまのAIブームは、やっと人間の走る速度をラクラク超え、馬と同程度近くまで能力値があがってきた、ということでしょう。

ようは、その程度なのです。
その程度の話で「シンギュラリティがやってくる。人類はAIに支配されるかもしれない」とか心配するのは愚の骨頂だと僕は思っているわけです。

この話は別に科学技術的な予測とか、学術的シミュレーションの高度な計算ということとはまったく違います。僕が言ってることは単に「人間が持つ豊かな常識で判断できることだ」という話なんです。

もちろん、自動車だって人死にが出ます。だからAIが絶対安全だとは言いません。AIを使うにしても、たとえば自動車が世の中に定着するために、道路の整備や信号などの付帯技術の発展も必要だったし、高速道路の整備など環境構築だって必要だったでしょう。それはAIでも同じことで、そういうルールの整備や環境の構築などは必ず行われます。

だって、道路のセンターラインがなかったら、危なくて車なんて乗ってられないでしょ? そして、センターラインなんて、自動車が発明されるまではこの世になかったわけです。そして、「センターラインがなけりゃ危なくて乗ってられないよ」ということがあったから、センターラインは作られたわけです。これはつまり「危なくても使いたい」という大前提があるわけです。

この「危なくても使いたい」というのは、新しい技術の場合、そのほとんどが「人間よりはるかに高機能・高精度だから」に決まってるんですよ。

いやもう、何度でも言いたい。

●人間の能力を超える技術しか世の中に定着せんやろ!

ということですよ。
なんやねん、シンギュラリティは恐ろしいという言い方。頭悪いんか? と思う。

人間より高機能だから使いたくなるんだし、使う意味もあるし、それに伴い「危険」が発生するのは自動車も同じです。

いや、僕はDIYをやってますから、それこそ「丸ノコ」なんて、どれだけ危険なものかものすごく良く分かっております。
あんなもの、使い方を間違ったら命を落とすし、片足をなくすとか普通にあり得ます。

それでも、自分の能力を拡張してくれる道具であるなら、使うわけです。それは人間の能力を超えてるから使う、という事なわけでしょ?

だったら「シンギュラリティが起きる」という心配って何? 人間よりちょっと賢くなる程度のことを想定して「危ない」とか言ってるんでしょうかね?

そりゃもちろん、マーベル映画に出てくるクリー人のように、政治的判断もすべてAIにまかせる、というような国家体制になったら、そりゃ危険かもしれません。

でも、そんなことする?
というか、そんなところに「ニーズ」とか「市場性」があるとは、とてもじゃないですが思えないわけです。

自動車が生まれて、「人間を超えるようなスピードが出るから、これは利便性があるし使いたい」というニーズが生まれたと。
で、そのニーズを満たすには「あんなスピードでぶつかられたら死ぬよ。だから運用ルールを決めよう」という「使い方」が生まれたわけです。

これ、「人間を超える機能」が先なわけです。運用ルールはその後ですよ。もちろん、頭の良い人が車が社会に定着する前に「危ない」と警告することはあったでしょうけど、実際には「馬車より早く走る車」が登場しない限り「運用ルールをどうしよう」なんて考えませんって。

もちろん危険はあるでしょう。
でも、それはキチンと管理すれば問題はないわけです。
そもそも、技術的な危険というのは予測が可能ですから、対応策も取りやすいんですね。

このシンギュラリティ問題でいつも思うのが、シンギュラリティ問題って、単に不安をあおる「心理的問題」であって、その「心理的問題」の方が、「技術的問題」よりも圧倒的に危険だ、という話なんです。

わかりやすく数字で比較しましょう。

自動車が発展してきて、道路網も整備され、車社会が定着してきたことで、交通事故も確かに増えました。昭和、平成、令和とどんどん車文化が広がって、実は交通事故死者は令和4年だった、数年前が一番死者数が多かったんですね。

厚生労働省の「人口動態統計(確定数)」によれば、2022(令和4)年の交通事故死者数は3,541人でもっとも死者数が多かった年のはずです。

では、「心理的問題」の代表と言える「自殺者数」は、どのくらいだったでしょうか?
昭和、平成、令和と変遷はあるものの、一番多い年で昭和53年(1978年)に34,427人。平成31年(2019年)が2万169人で、昭和53年以来の最少値になるんです。

つまり、「心理的問題」で自殺する人の方が、自動車事故の10倍死者が多い、ということなんです。

だからね、僕はこの「シンギュラリティ」を問題にして不安をあおる言説というのが、かなり嫌いなんですよ。
「お前ら、不安をあおることで儲けてるやろ!」とか邪推してしまう。

僕はもともと広告屋ですから、広告のアプローチとして、「美点を印象深く語る」という手法と「不安をあおって購入させる」という二つの手法があると分かっているわけですが、「不安をあおる」方の方法がどうにも好きではないのですね。

だからシンギュラリティの話を聞くたびに、いつも「それはどやろか?」と眉にツバをつけたくなるわけです。

まぁそんなこんながありますから、あえて断言しますけど、「シンギュラリティ」なんて起きないし、それは「シンギュラリティ」を心配している暇があったら、AIをどう活用するかをしっかり見極めて、丸ノコを安全に使う方法(一切断ごとに電源コードを抜く、切りたい部材をキチンとクランプ留めする、歯を進める方向を間違えない)を学ぶように、危険を避ける方法を学ぶ方が大切だ、と思うわけです。

世の中に出た技術、人間の能力を超えた技術は、もうそれは「普及する」以外に道はないのです。
ですから後は、どう使いこなすのか? という話でしかないわけです。

そこはしっかりと頭にいれておくべきなのではないでしょうか?

ということで、本日のメルマガはここまで。
ではまた明日。


--------------[KID'S SIGNAL No.1031 -了-]---------------


[1031号] ●バックナンバー一覧に戻る←前号へ次号へ→