[1050号] ●バックナンバー一覧に戻る←前号へ次号へ→

世の中には「説明書がないのが良い製品だ」というおかしな理屈が蔓延してます。これは明確に「間違い」ですよね?

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1050号●2024年6月30日(日)
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

----------------------------------------
このメルマガは、

「メモ・ノート・手帳を使いこなすためのStationery Book 42」

をダウンロードくださった方を中心に、毎日発行でお届けしています。
「Stationery Book 42」の更新情報なども掲載しています。
それらの過去記事のまとめは、メルマガ本文のすぐあとにリンクを掲載しています。
----------------------------------------

読者さん、こんにちは。
昨日、「トラックポイント(棒)付きキーボード」と「ブラインドタッチ」の組み合わせの便利さについては今日書くと書きましたが、その話は細かすぎるので、ちょっと置いておきます。

その前に「練習」について書いておきたいと思います。

というのは、「トラックポイント(棒)付きキーボード」は、慣れるまで少し時間がかかるからなんです。
時間がかかると言っても、まぁせいぜい15分なんですけどね。

でも、この15分というのは、たとえば店頭で商品を触ってみて分かる範囲は超えてるわけです。
なので、「トラックポイント(棒型入力装置)」の便利さというものは、あまり知られていなかったりするんですね。

たった15分なのに、その「練習」の機会がないというだけで、その後のパソコン環境、IT人生が全部「無駄な操作まみれ」になってしまうわけです。

この矛盾がね、僕はものすごく残念なのですよ。

ちょっとだけね、15分でいいからさ、「練習」してみて、って思う。マジで。
意外と多いんですよ「トラックポイント? あの赤ポッチの棒が付いてる奴? ああ、あれ、使いにくいから嫌」とか言う人。

こういう人は、実は、この「最初の15分」が耐えられなかったというだけの人なんですね。
どこかの家電店に出かけて、店頭で赤ポッチのThinkPadを見て、興味本位でトラックポイント(棒型入力装置)を1~2分使ってみて「何これ? 使いにくいわ」ってなってるだけなんです。

「トラックポイント(棒型入力装置)」というのは、スティックを押した強さでマウスカーソルのスピードが変わります。
そこが最初は面食らうんです。
でも、その面食らった感覚さえ超えれば、この便利さが分かるはずなんです。

「強く押せば早く動く」「弱く押すと少ししか動かない」という強弱の感覚は、15分くらい練習すると完全に調整できるようになります。ここさえ分かれば、スティック型の入力装置「トラックポイント」が、すばやい操作も、こまかい作業も、どちらも「押す力加減」だけで思いどおりにコントロールできる、いかに合理的な入力装置なのかが理解できるんです。

このメルマガを読んでいて、「トラックポイント(棒型入力装置)」に興味を持たれた方がおられましたら、家電店とかに出かけて、とにかく15分でいいから店頭のThinkPadで練習してみてください。

この「練習」をするかしないかで、残りのパソコン人生はガラリと変わりますから。
でも、この15分を耐えられる人、耐えてみようと思う人自体が、本当にいないのです。

なぜいないのか? というと、そもそもですね、世間の多くのみなさまは、「練習なしに使える」という概念が大好きだからなんです。
もう、本当に好き。
大好き。
困ったことに。

でもね、やっぱり本当は、「練習しないと使えない」というノウハウと「練習なしに使える」ノウハウでは、とてつもない差があるものなんですよ。それが現実なんです。だってそうじゃなかったら世の中に「プロ」と「素人」という概念なんて生まれるわけがないんです。

この「練習して広がる世界」と「練習なしで得られる世界」がどれほど大きな差かと言うと

●三輪車と自転車

の違いくらい大きいわけです。
そりゃもちろん三輪車なら練習なしに乗れます。でも三輪車でツーリングすることなんてできないわけですよ。だって、そもそも「スポーツタイプの三輪車」なんて存在してないわけですから。

ところがっ!

たとえばパソコンで言えば、「Macは説明書なして使えるからいいんだよね」とか言う風潮が世間にものすごく広まってしまってると思うのです。そしてそういう初心者向けアプローチの考え方が拡大してしまって、「説明書や練習なしで使えるのが良い製品なんだ」というかなり非論理的な思想まで、世間に定着しちゃってるよなぁ、と思うんです。

「説明書がなくても使える」のはとても良いことだけど、それはその「使える部分」が「三輪車程度」のことだからです。キチンとしたツーリングには三輪車は使えない。自転車じゃないと山は越えられない。
だから、そういう当たり前のことは、ちゃんと説明書に書いてあるし、それは読んだ方がいいに決まってます。

なので、

「説明書がないから良い」

なんて意味不明だと思う。それは僕は、論理的に完全な間違いだ、としか思えないわけです。

「説明書がなくても使える」のと「説明書がないから良い」は全然別の考え方で、ここを無理やりつなげて主張するのは、根本的におかしな理屈だと思います。

「説明書なしで使える部分」は初心者用に用意しておくことは必要だけど、「より便利な機能」は説明書を読んで理解して使いましょう、というのはごくごく普通の考え方です。ちゃんと切り分けして準備しておくことが大切。

でも、最近では、「説明書が<ない>から良い」とか言うおかしな理屈が、けっこう幅を利かせてきて、「説明書を読まなくても使えるのが素晴らしい製品なんだ」とか得意げに言う人が出てくるわけです。

この理屈がね、僕はもう、根本的に「それはおかしいやろ!」としか思えないわけです。
説明書なかったら、メンテナンスとか不具合が出た時とかどうすんの? どうしようもなくなるやん。
どうすんの? と思うんです。製品をていねいに使おうとか長く使おうとか、より便利に使おうとかの部分がすっぽ抜けてる。

偉そうな言い方ですけど、買ったものへの愛情がないと思うわけです。
愛情がなかったらどんな商品でも使いこなすことはできませんぜ、と思う。

いや、愛情なんかなくてもいいけど、そもそも、説明書を読むことなんて、最初の一回で済むことじゃないの、と僕は思うわけです。
説明書さえ最初にキチンと読んだら、その後ずっと悩むことなく、ずっと使いやすいわけですよ? そうでしょ?
そこは合理的に考えろよと思う。

でも、「説明書を読まなくても使えるのが良い製品」という考えに染まっていると、最初に一回読めば、分かる程度の

●一番カンタンなこと

が、まず理解できておらず、

●余分な苦労やムダな操作

を、そのあとずーーーーっと、ずーーーーーっと、くりかえし、くりかえし、一生、永遠にやり続けてたりするわけです。
僕はこれほど理不尽なことはないと思うんですけどねぇ。

そんなことは、

5分で分かるやん。
15分で使えるやん。
数日で身に付くやん。

と思う。
で、ほんのちょっと説明書を読んだり、わずかな時間練習するだけで、その後は、ずっと、一生、ラクで快適になるわけですよ?

なんで説明書読むとか練習するとかをそんなに嫌うの?
と思うわけです。

「説明書を読まない・練習しないのが良い」という考え方自体、僕には拒否感が強すぎて理解不能なわけです。
(これを一般的には「反知性主義」とか言うそうです。不毛な概念やなぁ。)

でも、「説明書なしが良い」という人は、そういうやらなくても良い「完全にムダな苦労」を、喜々としてずーっとやってるんですね。でもって、そういう状態にいながら、それを「これが素晴らしいことなんだ」と思い込んでたりするわけなんです。

信じられない。

そりゃ「説明書なしでも使える部分」はあるべきだし、それがないととっつきが悪すぎると思う。
でも、

●三輪車でツーリングはでけへんやんか。

としかやっぱり思えない。
「説明書なしで使える」というのはつまりは「自転車じゃなくて三輪車なんだよ」ということです。ツーリングのできない製品なんだ、ということなんです。

なので、とくに「Macは誰にでも使えるから素晴らしい」というおかしな理屈に洗脳されてしまって、あの「使えない道具」の代表である「マウス」を、「結局これが一番使いやすいわ」と言ってたりする人を見るのは、もう当たり前にはなりすぎてますが、僕には、ただただ悲惨な状況としか思えないわけです。

ま、「それは個人の意見でしょ?」ということなんでしょうけど、本当はかなり真剣に「なんだかなぁ」という気分でいっぱいなのです。

ということで、この話、もう少し続きます。


--------------[KID'S SIGNAL No.1050 -了-]---------------


[1050号] ●バックナンバー一覧に戻る←前号へ次号へ→