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iPad mini を買ったのに、なぜか「ペンで手書き」をやりたいと思えない理由が、自分の中ではっきりしました。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1186号●2024年11月15日(金)
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読者さん、こんにちは。
昨日はちょっといろいろなトラブルがおきた上に、急な来客とかもあって、メルマガをお届けできませんでした。
ということで、本日はまたまた、連続して2号お送りします。
さて、前々から、iPad mini を購入した話をさんざん書いてきたんですが、その中でデジタルなペンによる「手書き」については、あまり利用していない、ということを報告していました。
報告してはいたんですが、じゃあ、なぜ「デジタル手書き」をあまりやらないのか、その理由がいまひとつスッキリしていなかったんですね。
理由のうちの一つは、前にも書いたように、
●掲示する能力は「紙」の方が圧倒的にすぐれているから。
ということでした。
これはもう、ハッキリしたことなので、別にわざわざ書くようなことでもないのかも知れません。
・ポストイットをホワイトボードに貼る
・PCのディスプレイの周りにポストイットペタペタと貼ってToDo代わりにする。
などがわかりやすい例でしょう。
でも、この「掲示」というのは、そういうToDoなどを忘れないようにするという効果はあるものの、「ノートを取る」という、
●記憶・記録のための行為
という部分とはちょっと違うと思うのです。
紙のノートにメモなどをすることは、やはり学生なら勉強、ビジネスマンなら打ち合わせの内容の記憶と記録という、かなり「メイン」の課題のためにやっているのだろうと思うわけです。主要業務は「書いて覚える」ということ自体にあるように思えるわけです。
iPad で手書きをやっている人は、まさに手書きで、学習や業務の整理などをやっていて、それが
●主要業務
に直結していると思うのです。
で、主要業務としてiPadの手書きを使うと、
・手書きの方がタイピングより記憶に残りやすい
・書いた内容がどんどん一台のマシンにたまっていく「記録の保存庫」になる。
・書いた文字が自動的にテキストデータに変換されて検索もできる。
・メモを取ったあとで、文字の移動や拡大・縮小などもでき、再読に有利
・各種の「デジタルノート」アプリは、無地、方眼、横罫と罫線を自由に設定入れ替え可能。
・デジタルノートなら無限の「用紙」が入っているのと同じで気軽にメモできる。
と、これだけの「利便性」があって、iPad での手書きは、紙への手書きよりメリットが圧倒しているように見えます。
でも、そういうメリットを差し引いても、やっぱり僕は、どうにも
●ノートに手書きで文字を書く
●メモ用紙に手書きで記録を取る
という方を選んでしまうんですね。
なんでかな? どうしてだろう? と答えが出なかったのですが、先日やっと「あ、そうか」という確信が得られました。
それは、
●「考え」という抽象物を、「紙」という物理存在に転換する
という、
●思考のモノ化
を重視していたからだったんですね。
紙への手書き行為は、頭の中の抽象的な「考え」を、具体的で物理的な「モノ」としてこの世に存在させるという特性があります。
これは、iPad の手書き入力には100年たっても実現できない本質的な違いだと思う。
さっきまで頭の中にしかなかった「自分の考え」が、紙に手書きをしたとたんに、重さも、手触りも感じられる、具体的な「モノ」に変わっているわけです。
この「抽象」から「具象」への転換が、「紙への手書き」をした瞬間に起きているということがすごいのであって、iPad での手書きでは、この「思考のモノ化」という絶対的な安心感を得ることができないわけです。
iPad での手書きで、同じ安心感を得ようとしたら、書いてすぐにプリントアウトするよりほかに方法はないわけです。
どうしても「モノ化」するために「書いて」「プリントする」という2段階のプロセスが必要になるし、どう考えても「すべてのメモをプリントする」などという手間なことをやるはずもありません。
しかし、紙のメモだと、書いた瞬間に「思考のモノ化」は終わっているわけで、この「思考のモノ化」こそが、「書く」という行為の本質部分だろうと思うわけです。
iPad の手書きに、どれだけ多様な利便性があったとしても、「思考のモノ化」という本質を失うのなら、「手書きする」こと自体に、意味を感じられない。
そういう心情が僕の中に存在している、ということだろうと思うのです。
なので、やはり iPad での手書きには、今後もあまり力をいれないような気がします。
ということで、昨日のメルマガはここまで。
ではすぐ本日分をお送りします。
ではでは。
--------------[KID'S SIGNAL No.1186 -了- ]---------------