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時刻通りに列車を発車できるのであれば、戦争だって人類の歴史から葬りさることができると思う。

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1201号●2024年11月30日(土)
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読者さん、こんにちは。
昨日は、日本の道路のきれいさに外国人が驚いている、という話をしました。

で、この「きれいさ」の裏側には、日本人の「治安の良い社会」を実現している道徳意識の高さが存在しているのだ、ということを書きました。

この道徳観や平和に対する意識の高さは、日本人独特のもので、日本人にとっては「当たり前」なのだけれど、海外の方からすると、「驚異の出来事」としてとらえられるようです。

一般的に外国人観光客がよく話題にするのは、

●夜中に女性が一人で出歩いても不安がない
●小学生が一人で電車通学できる

というところでしょう。
これらの事柄は、「とんでもなくすごい」と世界中で取り上げられています。

日本に来た外国の女性(どこの国の人でもほとんど)は、日本の夜20時~26時くらいの間に買い物に出かけたり食事に気楽に出かけられることにとても驚いて、「自分の国に帰りたくない」と言うほどの安心感を感じられるようです。

また、欧米では子供の学校への送り迎えは、国の法律で「必ず親(保護者)が付き添う事」となっていて、もし子供だけで通学させようとしたら逮捕されることもあるのだそうです。

だからこそ、日本の電車通学の小学生は「恐ろしいほどの治安の高さ」の象徴として話題になるようです。

そして、何より、日本人にとっては「ごくごく当たり前の一般的出来事」である、「時刻通りに電車が来る」ということですら、世界の先進国の旅行者からは「驚異的出来事」として尊敬のまなざしを向けられる出来事なんですね。

アメリカであろうとイギリスであろうとフランス、イタリア、などなど世界中の国々で、電車というものは「数分程度は遅れるのが当たり前」なのであって、時刻表どおりに運行されること自体が「奇跡的出来事」のようにとらえられているんですね。

待ち合わせに関する、こんな小話がありまして、

「待ち合わせをすると、約束時間の10分前に日本人が、5分前にドイツ人とスイス人、定刻にイギリス人が現れる。そこから5分遅れでフランス人、15分遅れでイタリア人、30分以上経ってからようやくスペイン人がやってきて、最後まで来ないのはポルトガル人」

という内容なのですが、この小話で「5分前に来る」とされているドイツとスイスでさえ、電車の定刻出発率は、ドイツが6割~7割、スイスが92.5%で、日本と比べるとかなり緩やかですし、そもそも「定刻に出発する」というのは予定時刻から3分~5分以内であればOKとなっているので、そもそも前提となる「遅れ」の概念が違っていると考えるべきなんです。

こんな話を聞いて以来、欧米の知識人がつねに「戦争がなくなることはない」と言っていることに、かなりの疑問を感じてきたんです。

「人間に愛がある限り戦争は無くならない」

などという言葉がまことしやかに語られるわけですが、そもそも戦争と言うのは争いあう二国がともに相手国との関係を拒否するという、かなり特殊な状況が必要で、多くの場合、A国にもB国にも武器商人によって懐柔された「スパイ」がそれぞれの政府内に存在し、その何人もの要人たちが呼応しあって争いをしかけない限り、簡単には始まらないものなのです。

それに、戦争を起こそうと思えば、何千人何万人もの兵士を敵地へ送り込まねばならず、そのためには兵站という武器・弾薬・食料などの供給ルートや宿泊施設、兵舎が必要であり、その準備には何年もの時間が必要です。ですから、戦争を始めること自体に相当な年月が必要で、だからこそ、それは武器商人が「稼ぎのタネ」として手間暇をかけて用意していることなのです。

そもそも戦争で利益を得る産業は武器産業以外にはあり得ませんから、軍需産業そのものを縮小させる方策さえ取れれば、必ず人類から戦争はなくせる、とするのが合理的なものの見方のはずです。

だから、「人間に愛がある限り戦争は無くならない」という考え方こそ、知識人を黙らせるための軍需産業、国際金融資本の洗脳用思想に違いないぞと、僕は最近考えるようになってきました。
(こういうことを言っている人間は、どうも他に見当たらないんですけど。)

「電車が時刻通りに発射する」

ということすら、まともにできなかったのが、欧米の社会的現実です。
そして日本人は、当たり前のように電車の定刻運用を行っています。
その「やればできる」ことができていることにビックリしているのが欧米人の普通の人たちなのです。

「人間に愛がある限り戦争は無くならない」などという怪しげな考え方に侵されて、「戦争がこの世からなくなると考えるのは幼稚だ」とまで断言しているのが、百年戦争などという愚かしい殺し合いをやり続けてしまった欧米社会の思想なのですから、電車を定刻発車させている私たち日本人は、世界に対して「戦争は無くせる」と宣言すべきなんじゃないかなぁと僕は最近では思っているのです。

そもそも「刀狩」という武器の否定で平和を実現した豊臣秀吉という存在を持つのが、この国の歴史なんですよね。
そこはちょっと意識しても良いのではないか? と思います。

ということで、本日のメルマガはここまで。
ではまた明日。


--------------[KID'S SIGNAL No.1201 -了- ]---------------


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