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ネットの記事にちょっとイラっとしたことがあったので、「言葉選び」ということについて考えてみたいと思います。

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1229号●2024年12月28日(土)
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読者さん、こんにちは。
今日は、ネットの記事を見て、ちょっとイラっとしたことがあったので、それについて書いてみたいと思います。

本来なら書いた人が誰で、どこに問題があるかとかを、キチンとやっていろいろ書くべきなんですけど、この件に関しては、どうもちょっと違うような気がしたので、原著者や、原文へのリンクなどは示しません。
以下、その「イラっとした記事」の特徴部分です。

(引用開始)-----------------------------------------
冬の季節になると大体の挨拶が、

 「今日は寒いですね」
「冷えますね」

 といった表現になると思います。

 けっして間違いではありませんが、印象には残りませんね。

 たとえばこんな表現はいかがでしょうか。

 「冬がやってきましたね」
「冬の足音が聞こえてきます」

 寒さをネガティブに表現しがちですが、ポジティブに言い換えると素敵な印象に変わります。

 会話に季節感を込めるときに大切なのは、相手に「確かに季節って素敵だなぁ」と感じてもらうこと。

 四季の魅力や美しさ、四季折々の楽しみ方、味わい方などを、具体的なキーワードで伝えてみましょう。いつもの会話に豊かさがにじみ出ますよ。
(引用終了)---------------------------------------

この記事、僕はかなり嫌いなんです。でもって、こういう事を言う奴がいるから、世の中が息苦しくて、それでいてより良くなっていかない、すべての元凶なんだとすら思っているわけです。

上記の記事をまとめると、

(要約開始)---------------
「寒いですね」という寒さのネガティブ表現で発言すると印象には残らない。
「冬がやってきました」「冬の足音が聞こえてきます」と表現すればポジティブで素敵な印象に変わる。
大切なことは、「季節って素敵だなぁ」と感じてもらう事。
四季の美しさや楽しみ方などを具体的に伝えれば豊かさが出る。
(要約終わり)------------

ということになります。
あえて、一言にまとめるなら、

●季節って素敵だなぁと感じてもらう事

というのがテーマと言う事になります。

うるさいわ! 感じるのは相手の事や、お前が決めるな!

というのが僕の意見。
どう感じるかなどは、個人の自由だから、そんなことを話題にしたら、「こう感じなければならない」という予定調和的な「圧力」にしかならないと僕は思います。
で、それはものすごく独裁的で、いやらしい考え方だと思うわけです。

そんなことより、普通、寒くなってきたのなら、ちゃんと素直に、そのまま「寒いですね」と自分の感じている正直な気持ちを言葉にして、相手の方にも「ああ、寒いんだ(あるいは寒くないと感じている場合もあります)」と実感していただいて、「寒いなぁ」という「ネガティブな状況」を、「共通の認識事項」にすることの方が、「季節って素敵だなぁと感じてもらう」みたいなクソな事より、

●800億倍重要に決まっとるやろが! アホか!

ということなんです。

気温が下がれば、寒く感じます。まずその誰でも認識できることを、同じように感じてるんだ、ということを伝え合うことで、そこに「一人の認識ではない」、二人以上の「社会性」が生まれるわけです。

この「社会性」こそが一番重要で、それは、自分の体の暑さ寒さを感じる体感を、キチンと自覚しておくことが基本なわけです。
その基本機能がちゃんと動いてるよね、良かったよね、お互いに健康で、というのが、

「寒いですね」

という、目立たない、ごく当たり前の「挨拶」の裏にある、とても大切な「機能性」なわけです。

このクソみたいな

●季節って素敵だなぁと感じてもらう事

なんかより、はるかに重要に決まっているわけです。
当たり前でしょ、そんなこと。

当然「寒いですね」と言ったら「いや、昨日の方が寒かったよ。マイナス6度やったもん、今日は0度やからまだ暖かい」というような答えが返ってくる場合もあります。でも、それでいいんです。だって「寒いですね」という言葉は「私は寒いと感じてるんです」という事実の表明にしかすぎませんから。

相手に「季節って素敵だなぁと感じてもらおう」などというバカなことは考えないんです。だって相手は自分じゃないんだから、どう感じているかは、人それぞれなんだし。だから、まともな人間なら、寒い時は「寒いですね」と言うんです。
それでいいし、それがいいし、それが正しいし、それ以外の言い方は単純に相手に自分の感じ方を押し付けて平気な、「おごり」でしかないということです。

この記事では「寒い」と言うことを「ネガティブ」と思って、それを「控えた方が素敵」と思ってるわけです。

現実の「社会」というのは、そういうものじゃなくて。

まず「寒い」という自分「たち」にとって、あまりうれしくもない状況を、「一緒に共有」するわけです。
そこに「苦境をともにしている人と人とのつながり」があるわけです。
そもそもここが見えていない。

「寒いですね」というネガティブ状況の共有ができたら、そこに共通認識のある、「社会」が生まれます。
社会が生まれたらどうなるか? というと、そこではじめて「問題を共有している仲間同士の連携」を発生させても良い状況が生まれて、

●エアコンつけましょか?

という次のアクションが生まれるわけです。

これこそがコミュニケーションやろが! アホか、こいつは!
という話なんですね。

●季節って素敵だなぁと感じてもらおう

とか考えてたら、みんなが寒さを我慢して、みんなが風邪ひくだけじゃボケ! クソみたいな事を言うな、アホが。
と、私は思うわけです。

で、この「寒いですね」という、ほんとうにほんとうに、ごくあたりまえの「普通の地味な一言」すら、キチンと表明できないくらい精神が弱ってる人だっているわけです。

人とのコミュニケーションが苦手、というような人は、こういう一般的な、ごくありきたりの「決まり文句」のストックがないせいで、コミュニケーションを開始できない、ということが超多いわけです。

「暑いですね」「寒いですね」「雨ですね」「いいお天気ですね」というような地味な言葉の方が「コミュ障」と呼ばれるような人が人の輪の中に入っていくときに重要な一言になるわけです。

僕自身、若い頃は、こういう「当たり前の一言」がタイミングよく言えなくて、そのせいでなかなか「社会性」を獲得できなかったなぁと思い起こす部分はあるわけです。

なので、ごく当たり前の決まり文句である「寒いですね」という一言を悪い事かのように書いている、この記事はかなり嫌いです。
こういう人とは、あまりお付き合いしたくないんですよねー。

で、この「寒いですね」という一言には、

●状況の悪さを、そのまま受け入れている

という「事実の直視」の態度が入っています。
この「事実の直視」こそが人がより良く生きていくために、もっとも大切な心構えなんだと思うんですよ。
ということで、今日のメルマガはここまで。

では、また明日。


--------------[KID'S SIGNAL No.1229 -了- ]---------------


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