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今日はジブリの高畑勲と宮崎駿の「考え方の大きな違い」について話します。
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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1259号●2025年1月27日(月)
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読者さん、こんにちは。
昨日は、「スーパーヒーロー映画は観なければならないモノ」という僕の愚痴について少し書きました。
ちょっと書き足りないこともあったので、今日はその続きです。
で、実はひとつの大きな考え方の軸として、日本のアニメのビッグネームである、スタジオジブリの2大作家、高畑勲と宮崎駿について書いておきたいと思います。
実は高畑勲が生前、宮崎駿をかなり厳しく批判していたことを、ご存知の方は少ないと思います。実はかなり痛烈に宮崎駿は高畑勲に批判されてたんですね。
で、それがどういう内容だったかというと、結論から先に書くと、
●現実に戻れなくなるようなアニメは作っちゃダメだ
という話なんですね。
これ、どういう話かというと、高畑勲が監督したアニメ「太陽の王子ホルスの大冒険」では宮崎駿も参加して、アニメーションの全く新しい演出技法を開発していったわけです。
さまざまな技法はあるんですが、簡単に言ってしまえば、
●映像の中に入ってしまったようなリアリティ
を実現したんですね。
それまでのアニメ(のみならず実写映画でも、なのですが)が、基本的に「舞台劇」を前提にした表現技法になっていて、それまでのアニメは「客席から舞台のお芝居を見ているような」作りだったのです。
しかし「ホルス」では、カメラがストーリーが起きている現場の中に入って、あたかも観客がその場にいるようなリアリティを感じさせる技法を確立したわけです。
この技法について、監督をした高畑勲は、のちに「こんな演出をしてしまったら、アニメの中の架空の世界で、あたかも自分が何かを成し遂げたかのような、実態のない『体験感』を与えてしまって、観客が現実に戻ってくることができなくなってしまう」という深い反省をし、そういう「リアル感のある演出」そのものを否定するようになったんです。
しかし逆に宮崎駿は、その視聴者が「物語の中に存在する」かのような演出技法は捨てず、結果、宮崎駿の作品は、内容の質の高低に関わらず体感の面白さが評価され大人気となるわけです。
ところが、高畑勲はそんな宮崎駿を、強く批判する立場に変わるんですね。
それはもう単純に「引きこもりを作ったらダメだ。引きこもりが増えている原因は私たちにある」という反省の有無の話なんですね。
舞台劇のような「お芝居」を見ているだけなら、「ああ、これはウソのお話なんだ、ほんとうのことではない」と、観終われば現実に戻ることができた。
でも、その場にいるようなアニメだと、自分は何もしていないのに、何かを成し遂げたかのような実感のようなものを感じてしまい、その「椅子に座ったまま実体験できるアニメ」から抜け出せない大量の「引きこもり予備軍」を生み出してしまったわけです。
高畑勲は引きこもりを生み出した反省から、もっと別の演出技法はないか? と模索して、その結果高畑さんは「リアルではないポンチ絵」でアニメを作り、「これはあくまで『お話』なんだよ」という形でのアニメ制作に変わっていきます。
「じゃりんこチエ」
「ホーホケキョとなりの山田くん」
「平成狸合戦ぽんぽこ」
「かぐや姫の物語」
などですね。(僕はこの中では「チエ」しか見てないんですが。)
アニメは「つくり話」であって、現実の社会ではない、観終わった後に観客は現実社会に帰らねばならない、という深い決断と、「ポンチ絵だからこそ、テーマ性を研ぎ澄ませて深い感動を与えられる」というスタンスによる演出技法の選択だったわけです。
で、この「ポンチ絵によって現実ではない」と知らせて、観客を現実に引き戻させる力と同じ効果が、スーパーヒーロー映画にはあると思ってるわけです。
スーパーヒーローなんて、この世にはいないわけです。
空を飛んだり、怪力を発揮したり、手や目から破壊光線を出したりなんかするわけがない。
だからこそ「これはウソの話なんだよ」が成立して、観終わったらすぐに現実に戻り、いつまでも「架空の世界に浸っている」ということは起きない、ということなんです。
これは偏見でしかないと思うのですが、「引きこもり」になっている人が、「スーパーヒーロー物」を見ているというのは想像できないんですよね。引きこもりになって、自室でスーパーヒーロー物ばかり見ているなんてありえないと思う。スーパーヒーロー物を見る人は、絶対に現実社会にすぐ戻ると思うんですよ。どうしてもそういうイメージしか持てない。だって「スーパーヒーローの世界」にいつまでも浸り続けたい、なんて思いますか? 僕はどうしても思えないんです。
ともあれ、この、
●現実に戻ることができるかどうか
という基準こそが、引きこもりになるかならないかのボーダーラインであるように思ってるんですね。
昨日紹介した、介護疲れの方をほめるお涙ちょうだい話には感動しても、地域包括センターにつながないと、介護疲れの人がそのまま自死してしまうという可能性に気づけない人というのが、まさに「現実に戻れない人」そのものなわけです。
そして、この人は結局MCU(マーベルシネマティックユニバース)は「ああいうのはちょっと」と言って観ないわけです。
だって、そんなものを観たら、現実に引き戻されるからです。
正義やあるべき姿や、自分の生き方の基軸を、「自分でしっかり考える」という現実に直面しなくてはならなくなるからです。
多分、無意識的に「そういう結果になる」と気づいているから観ないんだと思うんですよね。
多分、この仮説で間違いないと思ってます。
ほぼ確実だなぁ。
スーパーヒーロー物を「こどもだましだ」とか「CGなんてちょっとなぁ」と言って拒否してる人は、かなりこの現実逃避癖が強い人だと思います。「映画の中のリアルっぽい世界」の中にずっと住んでいたいから、なんですね。
だからスーパーヒーローものは避けて観ようとしない。
そういうことなんだろうな、と思います。
ということで、みなさんも、「引きこもり」になりたくなかったら、キチンと「スーパーヒーロー物」を観てくださいね。
本日のメルマガはここまで。
ではまた明日。
--------------[KID'S SIGNAL No.1259 -了- ]---------------