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突然ですが、高畑勲と宮崎駿の間にあった「確執」の内容について、ご存知ですか? 僕は知って目を回してしまいました。

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1296号●2025年3月5日(水)
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読者さん、こんにちは。
今日は「映像中毒=引きこもり」なのだ、という話をします。

●「こんな映画ばかり見せたら、みんな引きこもりになって、現実社会に戻れなくなってしまうぞ」

という言葉というか、考え方がありまして。

誰の「考え」かと言うと、スタジオジブリの高畑勲の意見なんですが、僕はこの意見に深く納得するのですね。その通りや!と。
そしてしかも!この考え方を言われた相手は、なんと宮崎駿なんですね。

あまり知られてないかもしれませんが、スタジオジブリの二大巨頭、宮崎駿と高畑勲の間にはとても深い確執がありまして、そのメインの問題がこの、

●「引きこもりが生まれるような映画を作るな」

なんです。
宮崎駿と高畑勲の関係については、いろいろと難しい部分もあるので、以下の記事を参照してみてください。
ま、簡単に言えば師匠と弟子なんですけどね。


●「監督・宮崎駿」を生み出した高畑勲の功績 肉親以上の関係だった2人の天才
https://www.oricon.co.jp/special/50964/


さて、では「引きこもりが生まれるような映画」ってどういうものよ?というと、実は

●映画の世界に引きずり込むような、体感的な演出技法

を取っているかどうか、なんですね。
実は、この「体感的な演出技法」こそ、高畑勲自身が生み出したもので、最初期の作品「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年)ですでに確立されていました。

映像の中で「何かを体験しているような感覚」は、一般人には「感動した」とか「リアルだった」とか、映画で何か深い気づきを得、いままでにない体験をしたような気分にさせてくれるわけです。

でも、これ、「本物の体験」ではないですよね? 体験型の演出だと、その区別がつかなくなる。これこそが「引きこもり」を生み出す原因なんだ、と言う話なんです。

「引きこもり」と言っても、別に誰も「内面的思索」をずっと続けていたりするわけじゃないでしょ? 単にゲームやアニメやドラマなどの「何かの映像」を、ずーっと見ているわけです。
それが「引きこもり」と、呼ばれてるだけなんです。

つまり世間的には「引きこもり」と呼ばれてますが現実問題としては「映像中毒」でしかないんです。なぜ彼らは「引きこもり」になっているかと言うと、映像体験がそのまま「自分の人生の体験」のような「感じがしている」からなんですね。
つまり映像が「疑似体験」的な描き方になっていると、実際にその仮想空間を「生きているようなつもり」になって、その「生きているようなつもり」から抜け出せなくなっているわけです。

いくら「体験した」感覚があったとしても、それは現実的には「まったく体験してない」わけです。それが現実です。ここ、重要なので、強調しておきますが、映像を見て「体験した」感覚があっても、それは「ウソ」であって、一切体験はしていないわけです。「体験」としては「ゼロ」です。

でも、映像中毒になると、この「ゼロ」を「ゼロ」と思えなくなっているわけです。「何かを体験した」と無意識に勘違いしてしまう。それは単に「現実」と「感覚」との区別がつかなくなっているだけなんですね。
だからこそ、「引きこもり」が生まれるわけです。

繰り返しますが「映像」は、すべて「ウソ」であって、映像を見ただけでは「体験」は絶対にできないんです。そんな気にさせることはできても、どこまで行っても「体験」ではない。当たり前ですよね?
でも、この区別がつかなくなっている状態が「映像中毒=ひきこもり」なわけです。

で、この事実に気づいて、高畑勲は自分が生み出した「体感的な演出技法」こそが引きこもりを生み出す重要な要素なのだと、現実を正しく認識したわけです。
つまり社会的に「映像で夢を見させるのは害悪である」という事実にぶち当たった、ということなんです。

この高畑勲の話は、僕は本当に最近知ったんです。

でも、この話を聞いて、

●素晴らしい!

と、すごく納得できたんです。
で、同時に、なぜ僕が宮崎駿の映画が全部嫌いなのかも、すごくハッキリ分かった。
いや、宮崎駿だけでなく、かなり大ヒットしてるような映画でも、時折すごく「嫌な気持ち」になる作品がある。
その理由がわかった気がしたんです。

この話、長くなるので、今日はここまで。

ではでは、また明日。(明日、この続きを書くとは限りません。ごめんなさい。)


--------------[KID'S SIGNAL No.1296 -了- ]---------------


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