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「映像中毒=引きこもり」問題に関する話の続きです。具体的に「映像中毒」になったら、何が問題なのでしょうか?

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第1306号●2025年3月15日(土)
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読者さん、こんにちは。
先日からちょこちょこ書いている「映像中毒=引きこもり」に関する話の続きです。

高畑勲は、結局、「現実と映像世界」をはっきりと区別するために、映像の「絵柄」そのものを、「ポンチ絵」のような「あきらかに現実ではない画風」にすることにしました。

こうすることで、映像作品を見る人は、その作品世界を決して現実世界とは認識せず「これはあくまで映像世界の架空の世界なのだ」と明示することができるようになるわけです。

ここまで、高畑勲は「映像世界は現実ではない」「視聴者を架空の映像世界に引きこもらせてはいけない」「視聴者はずっと現実世界にいなければならない」ということを徹底しているわけです。

じゃあ、なぜ高畑勲は、ここまで「映像世界は架空の世界。現実ではないのだ」ということを強調したのでしょう?
ひとつはっきりしているのは、「ひきこもり」と呼ばれる人たちが自分の部屋でずっと映像作品を見ているだけで終わってしまっている、という事実を直視しているからだと思います。

しかし、これは、僕はまだキチンと高畑勲の主張をチェックできていないので、僕自身の仮説になってしまうのですが、この問題は、「映像中毒の人間は現実を正しく理解できなくなる」という、「ひきこもり」よりもっと悪い精神状態になる可能性が高いからダメなのだ、と僕は仮説を立てているのです。

これは「テレビカメラマンが、がれきの下敷きになっている人を救う人を、手伝いもせずに撮影している」という問題と完全につながっている話です。
映像中毒になると、現実世界に出ても、こういう具合に「映像体験のために人の命を無視する」ということを平気でできるようになってしまうんですね。

僕はこれを「映像文法の暴走状態」と考えています。

それこそ宮崎駿作品のように、「仮想世界に引きずり込んで、架空の世界で何かを体験したかのように錯覚させる」ような映画ばっかり見ていると、「がれきの下敷きになっている人」を「がれきに押しつぶされた死に行く人」としか見れなくなってしまうんですね。

なんでかというと、

●自分が現実世界で動けば、世界が変わる

という当たり前のことに気づけなくなるからです。

これは「物語上死ぬことになってる人は死んでしまうのだ」と、ただぼーっと眺めていることばかり「体験」した気になっているからそうなるわけです。これは映像文法の中に

●死ぬことになっている人は死んでしまう

という暗黙のルールがあって、それにただ則って「眺めてるだけ」を続けるから、そうなるわけです。
高畑勲が現実と架空世界を厳しく峻別するのは、こういう「ただぼーっと眺めているだけ」の人間を作らないためなわけです。

「ポンチ絵」でしかない映像作品なら、「これは現実ではない」とずっと感じたまま鑑賞できますから、つねに自分が現実の側にいたまま鑑賞が可能なわけです。
だから、そういう作品を見ている人なら、がれきの下に敷かれている人がいた時に即座にカメラをうっちゃって、がれきをどかそうとしている人といっしょにがれきを動かそうとするはずなのです。

この「映像文法の暴走状態」というのは、実は世の中にはけっこう普通に存在していまして、たとえば、ある政治家が官僚たちが書いたおかしな「わいろ受諾ストーリー」で事情聴取を受けた時に、世の中に流布されていたんですね。
それが、

●まちなかの高級ホテルのロビーで、アタッシェケースに入った5億円を受け取った。

という疑義の流布だったわけです。

この疑惑、けっこうテレビでたくさん流されたんです。

「あの人、5億円ももらったんやって」
「ええ? そうなん? 金に汚いな」

というような話です。

でもね、これ、銀行に勤めている人なら、この「疑惑」がおかしな話だと一発でわかるんですよ。
なぜか? 答えは簡単で、

●5億円を入れられるようなアタッシェケースなどない

からです。
5億円を入れるとなると、10cm×40cm×60cm くらいのかなり大きなショッピングバッグひとつで、やっと1億円がギュウギュウ詰めではいるかどうか? というところなわけです。
それが5袋は必要なのですが、アタッシェケースだと1個で入ったとしてもせいぜい五千万円。5億円なら10個のアタッシェケースが必要になるわけです。

だから、「ホテルのロビーでアタッシェで5億円受け取り」なんて話は銀行マンなら「これはウソ」と瞬時に分かる話なんです。

ところが!
この「絶対にウソ」と分かる話がどんどんテレビで広がって、この政治家は事情聴取もされたし、政党の党首も辞任するしかなくなったわけです。
これは世間のみんなが、

●まちなかの高級ホテルのロビーで、アタッシェケースに入った5億円を受け取った。

という、どう考えたって絶対にウソだろうと分かる話を信じ切ってしまったからなんですね。
で、なんで信じ切ったのか? というと、テレビの刑事ドラマなどでわいろを受け取るシーンで、アタッシェケースがずっと使われ続けてきたからなわけです。
もうほとんど「ワイロ→アタッシェケース」というのは、パターン化している「映像文法」なわけです。
そして、この「映像文法」が現実社会には適応できない「映像世界でしか通用しないルール」ということを、多くの人がちゃんと分かっていないわけです。

だって現実社会で5億円の現金なんて見ることはほぼないからです。
そして多くの人は「ワイロはアタッシェケースに入っている」という「映像文法」を無批判に援用してしまっているからです。
こういう事例を僕は「映像文法の暴走」と呼んでいるわけです。

高畑勲が、こういう「映像文法の暴走」に気づいていて予見していたかどうかは分かりませんが、「映像中毒=ひきこもり」という問題と「映像文法の暴走」とは一直線につながっている完全にイコールの問題であることは、お判りいただけるのではないでしょうか?

僕は、この問題をかなり大問題として強く意識しているんですね。

ということで、今日のメルマガはここまで。
この続きは、またしばらくしてから書こうと思います。

ではでは、また明日。


--------------[KID'S SIGNAL No.1306 -了- ]---------------


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