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「理想」は「諦め」から考えると、悪い方向にしか進みません。まずは「理想」は叶えられる、という前提に立ちましょう。

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[KID'S SIGNAL] キッズシグナル●第927号●2024年2月28日(水)
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読者さん、こんにちは。

今日は前にも書いた「理想を実現する」ということに関してのちょっとした考察です。
先日「日本は世界的にもスゴイ国」というメルマガを書きました。
そこで、「電車が時刻ピッタリに来る。すごい」と海外の人から驚かれるということを指摘したわけです。

でも、実際には日本の電車のシステムには「1分のアロアンス(余裕:ゆとり)」が取られているから、遅れを許している海外と、実は大きな差はないんだよ、ということも書いたわけです。

これに似た話を、僕は映画の「ポリコレ嫌い」というところに感じるんですね。

実は最近の映画では、「ポリコレ」がかなり重視されてきています。
「ポリコレ」とは何か? というとポリティカル・コレクトネスの略で「政治的な正しさ」とでも訳すべきなんでしょうか? 弱者の視点に配慮した正しい表現の取り扱い、というようなことですね。

たとえば、もっとも古くずっと言われ続けているのが、

●映画は白人が主役のものばかりだ

というのがあるわけです。
アメリカでは黒人の比率が高いのに、それに見合った主役の人種比率になってないと。

で、これをひっくり返してみせたのが、マーベル・シネマティック・ユニバースの

「ブラック・パンサー」

という映画だったわけです。

この「ブラック・パンサー」は主要な登場人物がほとんど黒人なんですね。白人は主要人物としては、本当に一人くらいしか出てこない。
なのに、娯楽超大作として、この映画は大ヒットするわけです。

●本気で黒人の文化に沿った映画を黒人監督で黒人キャストで制作したら、大ヒットした。

ということだったんですね。
で、こういうこともあって、映画業界では、弱者や異端者に対してオープンな作品を作るべきだという「政治的配慮」が働くようになって、さまざまな作品が作られていくことになります。

スーパーヒーローの性別を「女性」にした「キャプテン・マーベル」とか、LGBTのヒーローを登場させた「エターナルズ」とか、もともと白人女性が主人公だったアニメ「リトル・マーメイド」を黒人歌手を主役に実写化した「リトルマーメイド」とか。

で、これらの映画がかなり興行収入が悪かったり、評価が低かったりしてるんですね。

で、アメリカでは「ポリコレ疲れ」と言って、最近では「もうポリコレはいいんじゃないか?」という意見がかなり大手を振ってまかり通っているようなんです。
ま、簡単に言うと「昔のままでいいじゃん」というノリですね。

で、こういうノリを見て、僕なんかは「いや、それはアカンやろ」と思うわけです。

もちろん、行き過ぎたポリコレは僕も好きじゃないし、リトルマーメイドの主役を黒人に変えるというのも「とにかく変えればいいんでしょ?」という機械的対応のように感じて、あまり高く評価したいとは思わないんですね。

それでも、黒人差別だけじゃなく、女性差別、LGBT差別のようなものは、ない方が良いのだから、無理のない範囲で上手に取り組んでいくべきだろうと、僕は思ってたわけです。

でもね、どうも欧米の社会では、そのあたりがちょっと日本とは違うようなんですよね。

たとえば「人種差別は良くない」「なくすべきだ!」というような論議は、日々繰り返し繰り返し語られているのがアメリカ社会らしいんです。
それこそ「もう聞き飽きたよ」というくらい、飲み屋でも語られるし、メディアでも取り上げられるし、いろいろなコンテンツの中身までチェックされたりしているわけです。

ところが!

そういう「人種差別は良くねぇよ!」と、叫んでいる彼ら自身が、白人なら白人同士でしか集まらないし、黒人なら黒人同士でしかツルんでいないらしんですね。
そして互いにお互いの人種を見下してたり、実際に乱暴したり、傷つけたり、悪くすると殺人事件にまでエスカレートしたりしてるわけです。

アカンやん! それ!

って思うんですが、どうもやっぱりアメリカや欧米ではそうなっているらしいんですね。
もう言ってることとやってることがバラバラです。

日本人にすれば、「人種差別は良くねぇよ!」と言ったのなら、言ってることとやってる事をキチンと合わせて、日々異人種の人とも仲良く交流するじゃないですか?

なのに、それをしない。
同じ人種同士でつるんでる。
それこそ、みんながみんな「人種というサークルの中」にしかいないらしいんですよ。

つまり

●理想は理想。でも現実は違う。

と、割り切りまくっているわけですね。ある意味、

●理想は掲ないとダメな目標だけど、達成はできないんだから、無理してもしゃーねぇ。

という「諦め」が大前提として存在しているわけです。
いやー、こういう諦めがあったら、物事実現しないですわねぇ。

で、同じことを日本人だとどう考えるかというと、

●理想は簡単には達成できないかも知れないけど、近づけることはできる。(だから努力しよう)

ということになるわけです。

わかりますでしょうか?

これ、電車の発射時刻の話とよく似てるでしょ?

だから僕はいつも思うのですが、

●理想を(陰で)否定してたら、うまくいくわけない。

ということなんです。逆に言えば、

●理想を(心から)肯定すれば、うまくいく。

ということだと思うんですね。
だから僕は多少、青臭く見られても理想の姿を肯定した態度でいたいと思うのです。

あなたはどう思いますか?

ということで、今日のメルマガはここまで。
ではまた明日。

--------------[KID'S SIGNAL No.927 -了-]---------------


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